不思議な日本語
小6 あえたし(aetasi)
2026年5月2日
散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでの間の状態をぴたりと表す言葉がないのに気づいた。桜の花びらと、からまつの葉と、自然はついに言語の及びえないものなのであろうか。もし日本語に桜の花の散る美しさを表す言葉がなければ、日本語の語彙の貧弱を意味すると考えさせられるほど、日本語になくてはならない言葉のように思える。ぼくがこの話を読んで一番印象に残ったのは、日本語の花便りの言葉は、日本語の微小感覚を表しているというところだ。
学校で日記の宿題が出た時のことだ。宿題を書き始めて、今日の天気を書こうとしたとき、突然つっかかってしまった。なぜなら、今日の天気を表すふさわしい表現が見つからなかったからだ。今日の天気は雨だった、しかし、普通の雨のようにざーざー降るわけではなく、もっと弱く降っていた。「弱い雨」というほど強くはないし、曇りではなく雨は降っていた。そこでぼくは、弱い雨より弱いと感じたので「超弱い雨」と書くことにした。ぼくの日記を見た先生は「超弱い雨」は口語的で適切でないので、「きりさめ」という言葉を使うと教えてくれた。初めて「きりさめ」という言葉を聞いたぼくは、きりさめという音から春雨を連想した。なぜきりさめというか分からなくてに先生に聞いてみると「霧のような雨なので、霧雨という」と説明していくれた。しかし、霧のような雨だったら、きりあめと読めばよいのではないか、なぜきりさめと音が変わるのかますます不思議に思った。
また以前、お母さんと家の近くの森を散歩した時のことだ。森の中を歩いているとき、ふと上を見上げると、太陽が雲からでてきてて、木と木の間から日差しがキラキラさしこんでいた。まるで天使が空から現れるように雲の切れ間から光が放射線状に広がって神聖な雰囲気がした。ぼくはお母さんに「あれがきれいだよ」と言おうとしたけれど、言葉が分からずに伝わらなかった。すると、お母さんがこのような木の間から差し込む光を木漏れ日というのだと教えてくれた。ぼくはとてもぴったりな言葉だと思った。その言葉を聞くと、リラックスした、さわやかな緑のイメージが思い出されるからだ。ぼくは自然を言葉で表すことは難しいけれど、それができたら、とても美しいことだと考えた。
日本は自然を表す言葉以外にも、オンマトペとよばれる擬態語や擬音語もとても豊富なのだ。例えば、雨が降っていることを表すにもたくさんのオノマトペがある。大雨だったらざーざー、小雨だったら、しとしと、ぽつぽつなどだ。また雪ならば、音はないが、しんしんと降るとなる。普段話している中国語では、オノマトペのような言葉は少ない。雨が降る擬音語はディーディーダーダーという一種類だけだ。また雪を降ることを表す擬態語もない。中国語では、擬音語や擬態語よりも「一粒」など数を数える単位で表すことが多い。日本語でオノマトペが多い理由は、きっと日本語は島国だから長年他の地域との交流が少なく同じ民族や文化であったために、感覚的に思ったことを言葉にすれば相手に伝わることが多かったからではないか。一方で、中国は広大な国土面積があり、数えきれないほど多くの民族が一緒に暮らしてきた歴史があるので、感覚的に言葉を作ってしまうと、一部の民族にしか理解できない伝わらない表現になってしまうことがあるののではないか。だから単位をつかった表現が多くなったのではないか。
日本語は、自然の細かい感覚を表したり、自分たちだけのオノマトペ文化を発展させたりした独特な言語だと分かった。