清書
中3 あんじゅ(aenoyo)
2026年4月4日
人々が時間に追われるようになったのは、時計が開発されてからだ。いつでも、誰もが時計を所持するようになると時計を覗く機会が増える。朝のテレビ番組も時計変わりとなってきている。今の所分単位のため、分単位で動いている。だが、これが秒単位となると時間に追われるという感覚がいっそう切迫したものとなる。最近は時間への関心は時間とらわれないことでなく、時間の効率的な使い方に向かっている気がする。効率的でない時間の使い方のできるチャンスを以下にして確保するのかが多くの日本人の課題だろう。私は時間に縛られずに生きたい。
ひとつ目の方法として、何かに熱中になることだ。私は、学校帰りや行きしに電車に乗ってる時間が多い。ずっとスマホを見ていても、しんどいので最近は読書をしている。読書の本は、自分の好きな本などだ。私は電車の乗り換えがあり、よくギリギリまで気づかない。なぜなら、本に集中しすぎて、まわりの声や景色が目に入らないからだ。夢中になって読書をすることで、耳も目も本にしか集中しないため、まわりの起こっている出来事がわからない。また、自分が降りる最終駅でも扉が閉まる寸前に気づいて行動することも多い。長年乗ってきたからか、無意識に降りる駅になると顔をあげる。すると、大体1、2つ前の駅のことが多い。その時に、ハッとしてアナウンスに耳を澄ませる。集中しすぎて、本を読んでいる間は、普段なら長く感じる通学路も一瞬に感じてしまう。私は本を読んでいて、何かに集中している時こそ、時間に縛られずに過ごせていると思う。
第2の方法はゆとりを持って生活することだ。私は普段の生活では、帰ってくる時間が小学校の頃より遅くなり、さらに私は普通の中学生より早く就寝ため、帰宅してからの時間が比較的少ない。ごはんを食べて、お風呂に入って、明日の準備をして就寝する。そのため、あまり趣味をしたりと言う時間はない。だからこそ、休日はとても楽しみだ。朝はゆっくりできるし、習い事がない時間はゆったりとできる。休日はゆとりを持って生活できるのだ。学校ほど、外出することがなかなか無いため、ゆっくりと自分がやりたいことをできる。ソファーで静かに空を眺めたり、動画や映画を視聴したりしてゆっくりしている。この時がゆとりを持てていて、心も気持ちも落ち着く。習い事で、1日埋まることは珍しいため、何をするのでも時間にゆとりを持てるため、時間に縛られることがない。最近は映画を鑑賞したり、弟とゲームをすることがあり、ゆっくりと落ち着いた時間を過ごせていて、しっかりと休息をとれることができる。
確かに、時間を確認しながら生きることは必要だし大切なことだ。しかし、時間に縛られずに生きることで体も心もしっかりと休めれて、何かの不安な気持ちも持たなくていい。「時間は存在しない – 私たちが作り出したものだ。時間とは時計が示すもの。過去、現在、未来の区別は、ただの頑固に持続する幻想に過ぎない。」という名言があるように、私たちは時間に縛られる必要はない。ゆっくりと、落ち着いて行動すれば、何事も無く終えることができる。また、時間に縛られずにいることで自分が新たに夢中になれる趣味を見つけることもできる。時間に縛られていては、時間ばかり気にしてしまい何事も手に負えなくなる。焦って時間を意識するのではなく、時間に縛られないよう自分自身で考えてゆとりを持つことが大切だ。