あまりのすごさ
小6 あこいわ(akoiwa)
2026年5月2日
散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでの間の状態を、ぴったりと表す言葉がないのに気が付いた。桜の花びらと、からまつの葉と、自然はついに言葉に及びえないものなのであろうか。もし日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味すると、二十年前と同じことわ考えさせられた。
私には、言葉を失ったような経験があります。それは少し前に家族で北海道に旅行に行ったときにお寿司屋さんで食べたホタテです。私はその時に初めてホタテを食べました。でずが、ここまでおいしいと思っていなか
ったのであまりのおいしさにびっくりし言葉っを失ってしまいました。私が今まで食べたことのあるどう食べものよりもおいしかったです。そして、私はそれ以来ホタテにはまりました。なので、旅行から帰って来て家の近くのお寿司屋さんでも、食べました。もちろん美味しかったけれど、北海道で食べた物のほうがおいしかったような気がしました。北海道は海に囲まれているのもあって海鮮類は新鮮なのかなとも思いました。なので、北海道で食べるホタテはまるで、食べ物界の大様のような気がしました。でも、よく考えれば、昔の人は貝に毒があったかもしれないのによくホタテを見つけたなと思いました。見つけたホタテを近くにあった掘っ立て小屋でホタテを食べたのかなと想像しました。
もし私がこの作文を書いていたら、桜の散る様子を「桜 ゆらゆら 落ちてゆく」こんなふうに表しているかもしれません。桜の花びらはストンと落ちるとゆうより、風に実を任せゆらゆら地面に落ちていくような気がします。実際に私もそういう場面を見たことがあります。そして、桜は散ったあと地面に広がります。私はそれを風に流されたのではないかなと思っています。
お母さんにも言葉を失った経験があるそうです。それは富士山を見た時のことだそうです。見た日はたまたま快晴で、山口県に山らへんに高いところから見たのですごいきれいだったそうです。お母さんは学生の時に一回富士山に登ったことがあるそうでずか、改めて富士山をみると、やっぱりきれいで大きさにはく力があったそうです。そのあまりの迫力に言葉を失ったそうです。でも話を聞くと本当にすごかったことがうたわってきました。その日は家族で旅行に行ってたので、私も富士山を見ました。私はむちゃくちゃ遠いところからは何回か見たことがあったけれどここまで近くで見たのは初めてだったので、その迫力を感じました。そしてお母さんはこうとも言っていました。富士山は日本全体を見守ってくれてる感じがする。私はそう言われて確かにそうかもしれないと思いました。あの富士山そような大きさや高さがあれば、日本中見れそうだなと思います。
人間にとって言葉とはぴったりの言葉がないことももちろんある私もそうだしお母さんにもぴったりな言葉がないことがある。でも、「帯に短したすきに長し」ということわざがあるからぴったりじゃなくても伝えたいことが伝わればいい。