学校で学べる知識
高1 あうえあ(auea)
2026年5月1日
人間の知とは何かについての考え方が、頭の中ですばやく計算できることといったものから、経験を生かし、外の世界にある道具(折り紙など)をうまく使って求められている答えを引き出すこと、といった見方に変わりつつあります。 人間の認知能力にこういう側面があることを強力に主張してきたのは、人を、その人が毎日普通に生活している場のなかで観察し、そこから人間の能力について考えてきた研究者の人たちで、その人たちによると、学校という生活場所はそれ自体が一つの文化であって、学校でよい成績を収めるということは、その文化への適応の程度がよくてその文化のなかで十分有能にふるまえることを意味します。だから、学校を卒業した後も、学校でやったように新しいことを次々覚える必要があったり、教えられたとおりのやり方で仕事をきちんとこなすことが求められたり、定期的に昇進試験があったりする社会でなら、学校で有能だった人がいきいきと生きられるでしょう。
私は、その場に適応できる力を持つことはとても大切だと思う。しかし、学校で学ぶ知識も必要だと考える。なぜなら、社会に出たときに基本的な知識がないと、周囲との会話や仕事で困り、恥ずかしい思いをすることがあるからだ。たとえば、簡単な計算や一般常識が分からなければ、相手から信頼を得ることも難しくなる。その場に応じた対応ができる人というのは賢い人だと文章で述べられていた。世間一般的に見て賢いと言える材料になる学業で得られる知識がままならないままではその場に応じた対応をすることは不可能ではないだろうか。だからこそ、学校で基礎をしっかり学んだうえで、その知識を状況に応じて使いこなす力を身につけることが大切だと思う。
私は、どんな世界でも知識は大切だがその中でもスポーツの世界ではとても大切だと思う。たとえばスポーツ選手は、高い運動能力を持っていても、知識や常識が不足していると、インタビューで適切な受け答えができなかったり、契約やお金の問題で失敗したりすることがある。どれほど才能があっても、知識がないことで情けない思いをしてしまうのである。私が昔所属していたスポーツチームの選手がインタビューを受ける機会があったが、学校に行ってなかったため記者からの簡単な質問に戸惑っていた。そのせいでネット上では運動ができても知識がないと生きていけない、など散々な言われようだったのを覚えている。だから、事情があって学校に通えない人であっても、自分で本を読んだり、インターネットで調べたりして、学校で学べるような基礎知識を身につける努力は必要だと思う。知識と、その場に適応する力の両方を持つことが、本当の意味で社会で生きる力につながるのではないだろうか。
確かに、その場に応じた行動をとることはとても大切である。しかし、それを支えるためには、学校で学ぶような基礎的な知識も必要だと思う。知識があるからこそ、状況に合わせて適切な方法を選ぶことができるからである。私は、これからも学校で学べる基礎知識を大切にしていこうと思う。