人と人

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 その昔、サングラスをかけていると周囲から「隠れているな」という関心を引いた。しかし、現在ではそんなことはなくなり、多くの人が隠れ蓑として利用している。こうした変化の理由は人々の対人関係が淡白になったことにあるだろう。対人関係を煩わしいと思うような社会は問題である。

 この問題の原因として第一に、インターネットの普及が挙げられるだろう。普段生活していると、今だったらインターネットがあるだけでやっていけるな、なんて思うことがある。特にそれを思ったのは、コロナ禍の時だ。わざわざ、学校に足を運ばなくても、オンライン授業で勉強することができた。学校にいくのがめんどくさいと思っていた私にはとても好都合だった。また、オンライン授業の場合、教室にいると周囲の友達と騒いだり、周りの人がうるさかったりして勉強に集中できないなんてことがなく、オンライ授業特有の利点があった。確かに学校に行けず、友達と会う頻度が減って少し寂しかったこともあったが、ビデオ通話などでまるであっているかのように会話ができたり、ビデオ通話をしながらゲームをしたりすることができた。こうした実体験があると、インターネットがあれば済んでしまう生活を楽に思う人も増えるだろう。このように、インターネットの普及はあらゆることの利便性を加速させたが、対人関係を煩わしいと思うような社会になった原因の一端にもなっている。

 第二の原因として、人々の生活スタイルの変化が挙げられる。現代社会では、核家族化が進み、二世帯住宅などは比較的少なくなってきた。核家族化によって、家にいるだけでは会う人が限られる。かくいう私もそうで、中学生一年生の頃の夏休みは、遊びに行くのも面倒で家にいるばかりだったため、1ヶ月間ちゃんと顔を合わせているのは家族だけ、なんてこともあった。また、防犯意識の高まった現代では、昔はよくあった、商店街などを歩いているとおばちゃんやおじちゃんに声をかけられる、なんてことや、隣の家の人と家の前でずっと話してしまうなんてこともめっきり減った。隣の家の人が何をしていて、どんな人なのかよく知らないことなんて街行く人に聞けばザラにあるだろう。このように、人々の生活スタイルの変化によって他者との関わり合いが昔に比べて減少した。これは対人関係を煩わしいと思う現代社会の原因の一つであると言えるだろう。

 確かに、対人関係はこじれてしまうと修復が大変で関わり合いがめんどくさいと思うのも致し方ないだろう。しかし、「人間は、個々が全く違うのではなく、それぞれ皆同じ思いを抱えているのである。」という名言のように、自分と相手は全く違う、と関係をめんどく下がっていては何も成長しない。不安を抱えているのは相手も同じであり、対人関係でしか得られることのできないものもある。他者を思いやる心や、自分の在り方を知るのは対人関係でしか感じることのできないものの最たる例だろう。私も、人と関わることをめんどくさがるのではなく、また新たな社会が開けるとポジティブに思えるようになりたい。