他責思より自責思考

   高1 あえとく(aetoku)  2026年5月2日

一つの集団は、一人の裏切者と一人の犠牲者を生み出すことによって完成され、集団は論理的に構成される。はじめにキリストがあって十二人が従ったのではなく、変転としてとらえどころのない奇妙な関係の中に十三人が居て、放浪の末にユダとキリストを生むことによって一つの関係として完成された。ユダが裏切者として発明されることによってはじめてキリストが犠牲者となり得た。創世記のアブラハムの物語にも、一方的に神にのめりこむ心情が自らのうちに裏切者を用意しそれに対する憎悪で相殺され安定する契機が読み取れる。裏切者は集団の対人関係の独立して自己完結しようとするメカニズムが必然的に生み出す形態であり、裏切るという行為は相対的で集団は永遠にそれを対象化できず、そのため内部を律するメカニズムを持続的に緊張させつづける。新約ではキリストは外部勢力よりもユダに対して緊張し、集団は外部に対抗するより自己完結を選び、自ら裏切者を用意した。集団は衰弱期に自己完結を目指し、裏切者と犠牲者によって緊張しあう安定を得るのである。私たちは、内部に敵を作らなくてもやっていけるように、個々人がもっと強くなるべきだ。

まず心構えとして大切なことは、うまくいかないことを他人のせいにするのではなく、まず自分の努力不足として考えることだ。人は失敗したとき、つい周りの人のせいにしてしまうことがある。しかし、それでは自分のためにならないし、同じ失敗をくり返してしまうと思う。実際に僕も、バスケの試合で負けたときに、チームメイトのプレーのせいにしてしまったことがあった。でも後から考えると、バスケはチームスポーツであり、一人だけで勝ったり負けたりするものではない。自分もその中の一員なので、自分にも原因があったはずだと思った。そのため、自分には何が足りなかったのかを考えることが大切だと思う。そうすることで、次の試合ではより良いプレーができるようになると思う。

第二に、為政者が内部の敵を作る前に、情報を公開することも大切だと思う。問題が起きたときに、その原因を一人に押しつけて悪者にしてしまうことがある。しかし、それでは本当の原因は分からないままで、解決にはならない。情報がきちんと公開されていれば、だれかを一方的にスケープゴートにすることは難しくなると思う。多くの人が状況を知ることで、公平に判断できるからである。宗教団体などでも、内部の話し合いが外から見えるようになっていれば、考えが偏るのを防ぐことができると思う。

さらに、自国に対する賞賛が他国に対する軽蔑によって支えられてはならないという言葉があるように、自分たちをよく見せるために他を悪く言うのはよくない。何かを良く言うために別のものをけなすのではなく、それぞれの良さをそのまま認めることが大切だと思う。これは国だけでなく、学校生活でも同じことであり、自分がよく見られたいからといって他の人を下げてはいけない。お互いの違いを認めながら、自分自身を高めていくことが大切だと思う。