こればかりは自分で

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 地球上には浪費文明に侵されず昔ながらの素朴な生活を営んでいるところがいくつもある。アジア、アフリカなどのいわゆる第三世界に行けばいまだそれがふつうの暮らし方だし、またアイルランドやメキシコやニュージーランドにもたっぷりとそういう暮らしぶりが残っている。そのような土地へ行き、その反自然な人工的なものかを知った。と同時に彼らのその生のほうが人間らしく、自然と同調しているかを味わった。そのほうが効率的生産を求めてあわただしい日本の生活よりもずっと上等な生だと痛感した。人間は生きていく上でなんとわずかの物で足りる。アボリジニが東京に来た時のビルの入り口の自動ドアに驚き、「なぜこのようなものが必要なのか。ドアなど手であければいいではないか。」と言ったという。われわれはそのような思いがけぬ指摘でふだんの生活がむだなもので占めされているかを思い知らされる。「人は生きるためにいったい何を必要とし、何を必要としないのか」そういう根本的な疑問の前に自分を立たせて見るとき、自分たちが誘惑によって余計なものを多くもたされているか、それらの物によって生そのものを見えなくしてきたかを思い知らされるのである。

 便利で快適な生活はよい。近代の科学の発展により、人との通信が「会うこと」以外にもあらわれた。今日では、メールやLINEいわゆるSNSで人々とコミュニケーションをとっている人が多いだろう。昔は、人と会って、要件を伝える、文通で伝えるという二択しかなかったが、今では、思いついたときにさっと相手に知らせることが出来て、相手の声も聴くことができる。このような科学の変化は必要だ。私の祖父は、現在諸都合があり一人で暮らしている。そのため、毎日LINEアプリを使ってテレビ電話をしている。人とのコミュニケーションは認知症対策にもなるらしい。祖父も高齢者のため、コミュニケーションをとって認知症にならずに長生きしてもらいたい。科学の発達によって、コミュニケーション力も健康力も上がった。

 しかし、機械化されていないシンプルな生活もよい。SNSは使い方によるが、メンタルや健康を傷つけられてしまうことがある。また、スマホによるながらスマホや歩きスマホ、見すぎなども良くない。見すぎによる悪影響は、目に疲労がかかり、悪くなることだ。目が悪化しないようにする方法で、二十五分や三十分間メディアを利用したら、山などの緑の自然を眺め、目を休ませるというものがある。緑がたくさんある自然豊かな体験と言えば、キャンプである。私も以前、市民の森という所でキャンプ学習をした。そのとき、スマホを自然の中、このキャンプ中に使わないように、と代表者から説明があった。たったの一泊二日だったが、メディアを使わない生活は、時間が急に長くなったように感じられたとともに、丁寧な生活をしたことも感じられた。科学の発達、機械化により、人間本来の過ごし方が変わってしまった。

 確かに機械化された便利で快適な生活にも素朴でシンプルな生活にもそれぞれよさがある。しかし、私たちの人生は、私たちが費やしただけの価値がある、という名言があるように自分本来、人間本来の生活を用いながら満足する生き方を日々探し続けるべきである。学校でも、メディアコントロールという家庭活動があった。もうその活動は終わってしまったが、自分でもメディアを使用しない日を決めて、シンプルな生活を送っていきたい。