少年の頃の花びらは、、、、、、、、
小6 あきはや(akihaya)
2026年5月2日
花便りの言葉も、微小感覚を表し分けて、まことに風情に富んでいる。ところが、散り初めのころのある日、枝を離れた花びらを見ていて、これが地面に達するまでのあいだの状態を、ぴたりと表す言葉がないのに気がついた。花便りのいろいろの言葉を作り出し、育ててきた日本語だから、私のまだ知らないところに、あの美しさを表す言葉があるかもしれない。もし日本語にそれがなければ、それは日本語の語彙の貧弱を意味する。
僕は一年前ぐらいに、神奈川県の森にあるキャンプ場に行った。でもそのキャンプ場は、ものすごく楽しかった。でも自然といる時には言葉では表せれないほど綺麗であった。昼は川にいって、手つがみでニジマスをとった。その時はものすごく楽しかった。その魚を焼く時には、火おこしをしないといけなかった。日の起こし方は簡単。まず最初に新聞紙をちぎる。次に、小枝を周りに並べる。そして枝を並べたらその上に、炭を乗っけて最後に着火剤を撒き、あとは、マッチで燃やす。でも、日の強さが上がらないようだったら、火吹き棒で日の威力を強くしたり少し強く吹いて、弱くしたりの加減が難しい。まるで自然のオーラや感覚がとても気持ちいいベットみたいだ。
もし僕が作者だったとしたら桜の散る様子はなんとも言えないほどの魅力がある。でもそのちった桜の花びらを過ぎる人々は桜の花びらが落ちてるー。ぐらいだけど色々なものに感心している人は、桜の花びらが落ちていると僕らを見送ってくれているのだろうなと思ってくれるのではないであろう。
人間にとって言葉は、万能な道具ではないわけではない。ただ自分の思ったことを、考えて人に言えるからこそ人のとって言葉は必要不可欠な大変重要の言葉だろう。だからけっして言葉は万能ではないことはないのである。だからこそ人はしゃべる事ができるのだ。でも人それぞれの考え方があるから、言葉は有能とか有能じゃないは人それぞれだから人の意見に絶対こうだ。とかいうことは可能でもある。