こればかりは自分で
中2 あさくに(asakuni)
2026年5月2日
要約:この広い世界には自分で体験するしかない「旅」という概念が存在する。アジアなどの第三世界に行けばまだ現代の浪費文明に浸食されていない、純粋な自然に忠実な生活を営んでいる人々もいる。筆者はこの国々を見て、日本の生活よりもよっぽど上等な生活をおくっていると痛感したそうだ。体験をせずにもこの考え方を得るためには日本史に残る様々な文化人と自分を対比させたらよいそうだ。この問題を考えぬくと、「こんなにたくさんの便利さや快適さを訴える無駄なものがあるのか」と思い知らされるようだ。
まず第一に、快適な生活の利点は他者をそれほど考えなくてもよいからだ。現在我々が2026年に暮らしている快適で効率化された社会は実に対人の機会が少なくなっている。身近な、買い物のセルフレジや日々のAI活用のように圧倒的に20年前の人々とは別次元の世界に住んでいる。最近私はとある試験のためグーグルのAI、ジェミニを使用するようになった。そのアドバンテージはオンラインに漂流しているたくさんのデータを集め、要約した形で提供してくれるところにある。毎回ジェミニに相談する場合、ほとんど敬語を使わないよう、意識している。なぜかというと前からAIが自分の思考回路をひそかに理解し、裏でAIのみがアクセスできるプラットフォームに個人情報を流している可能性があると恐れているからだ。もちろん塾の教師などには敬語などを使い、精神的に配慮し、学んでゆくが、圧倒的に自由時間などではAIなどに命令をした方が気遣いもせず楽だ。たまには、思いのままに生活した方が、個人のモチベーション向上やストレス発散に直結し、効率が上がるのではないか。
かといって、機械化されていないシンプルな生活も、欲が消え、純粋な「生きること」に注力できるというメリットがある。これは私の固定概念だが、「欲がなく、清らかな生活」を送ると聞くと、瞬時に僧侶を思い浮かべる。私が現在読んでいる、手塚治虫の「ブッダ」に出てくるように仏に仕え、欲をそぎ落とした純粋な人々が「シンプル」な生活をある意味一番体現している。決して「欲」が悪いというわけではないが、これから一回逸脱し、自分の立場を再度検討してみると、これからの道を決めることもできる。欲が完璧にないと虚無の領域に入ってしまうのは当たり前だが、欲100%で生きていたら、自分の進むべき道を見失ってしまうことも少なくはない。そのような分岐点に立った時、一回欲を頭から除外すると答えが明確になるのは確かだ。
確かに快適な生活とシンプルな生活の両方には捨てがたい長所がたくさんあるが、これらの選択肢から読み取れる生活の本質は、どれだけ昔の生活と今の現状を無理やりかみ合わすことができるかにあると思う。いつでも人類というものは前進のみ可能だ。日本のピカソとも称される、日本のアバンギャルド芸術家、岡本太郎のベストセラーである「今日の芸術」でも述べられたように、「芸術というものは過去と同じものになってはいけない」のだ。岡本太郎先生の「芸術」とは「文明・文化・人生」に等しいと解釈しているので、内容としては完璧に一致している。昔の価値観や精神など、今も忘れ去られている大切な教訓などが存在しているはずだ。ルネサンスや岡本太郎先生の著書、「日本再発見」と同じく、それらの革新的要素を無理やりにでも合体させることにより、より良いものができるはずだ。なので、「より便利な生活のため」や「単純で質素な日々のため」と言わず、本質と本質を融合させた、その上の生き方をした方が良いと強く思うばかりである。