日本語はいままで(感)
小6 あきらほ(akiraho)
2026年5月3日
日本語は、今まで日本民族によってしか使われたことのない内輪の言葉だ。だから
日本語は、外国人によって学ばれ使われた経験がないために文法が学びにくい。しかし今徐々に外の視点を加味して整理されていることが芽生えてきている。
日本語は明治から今までの百年間で変わってきており、外国に日本語を教えることに大きな障害になる。これは国家的な事業としてお金をかけ、真剣に取り組まないといけないと思う。
私が日本語を使っている中で難しいと思ったことは敬語だ。私は五年生の三学期にやった勉強で、校長先生に「海か山かどちらが好きか」をインタビューする授業があった。私はその授業で、校長先生に尊敬語や丁寧語を使って話そうとしたが、緊張や、言葉をどう使ってよいかわからず、間違えて「海と山どっちが好き?」と友達に話す口調になってしまった。他にもまだ間違えていたことがあると思うが、恥ずかしさで覚えていない。とにかくしどろもどろになりながら必死に質問した事だけは覚えている。まるでそんな私は言葉というあばれ犬を必死になだめようとする飼い主のようだ。私たち日本人にとっても難しい言葉は沢山ある。なぜ敬語があるのか考えてみたが、日本人は他人を尊重する文化が昔から根強くよく残っているからではないだろうか。他にも自分と相手との立場を明確に示すために、敬語があるのだと思う。
私は四年前に千葉県から山口県へ引越しをした。当初方言に馴染めず、クラスメイトが使う方言を聞くと、疎外感を感じ悲しい気持ちになった。またケガをして我慢して泣かなかった下級生に「泣かなくてえらいね」と声をかけると、怪訝そうな表情をされた。山口では「えらい」は「大変だ。辛い。きつい」という意味で使われるのだ。だが、引越しをして4年経ったいまでは、友人と同じ方言を使って会話をしている。同じ言葉を使うと仲間意識が芽生え、より親密な関係ができる。方言や敬語などは外国人が日本語を学ぶ中できっと難しいはずだ。だからこのグローバル社会にも、日本語の特徴的な表現を学ぶことに特化した施設を作ったら、外国人も日本の言葉をより知ることで日本や日本語の親しみが生まれると考える。
人間の言葉とは歴史とともに変わり、なくてはならないものだ。何故なら伝えたり、考えたりするのはすべてのことに言語を使うことに共通するからだ。これからの時代は内の視点だけでなく外の視点を取り入れることで、外国人が日本語に親しみを持ち学びやすくなるのだと分かった。しかし外の視点を取り入れすぎることは日本の文化の根底を揺らされることになるのではないかと私は懸念を抱く。だから外の視点を取り入れすぎるだけでなく内の視点も大切にし、双方視点を一定のバランスで取ることが良いと思った。これから私は日本語と外国語の特徴に着目して、違いや言葉の根底に流れる視点、考え方を理解していきたい。