想像力への警鐘

   高3 かずま(auyoto)  2026年5月2日

  フィクションを楽しむ、または創造するうえで、想像力が大切なことは言うまでもない事実だろう。最近、想像力の重要性が増しているように思われる。教育でも、ただ知識を蓄えさせるだけでなく、主体性を身につけさせ、自分から考えるための想像力を身に着けようという風潮がある。特に、日本のサブカルチャー文化の発展もあり、想像力の地位はうなぎのぼりだ。しかし、物語をたしなむ上で、知識という力も大切な要素なのではないだろうか。想像力ばかりに目を向け、知識をおろそかにしてはいないだろうか

知識がなければ、想像ができない。我々は日々、多くの物語と接している。アニメ、マンガ、小説など様々な媒体で、フィクション、ノンシクション問わず、心躍るすばらしい物語を楽しんでいる。しかし、知識がなければ、その物語の中で出てくる重要な要素や元になった出来事が分からなくなってしまうことも多い。たとえば、ワンピースであったら、海賊という存在に関する知識がなければ、読者からすれば物語の前提の部分でつまずいてしまうことになる。もちろんそこまで深い造形はいらないだろうが、名前くらいは知っておかないと、見る気にもなれないだろう。そして作者としても、そのような歴史上の存在を知らなければ、こういう作品を作ろうと思い立つことさえできなかったに違いない。もちろん、知識がなくても楽しめる作品はたくさんあるし、そもそも物語を楽しむ上で最も大切なのは知識よりも、主人公の気持ちを想像して読み取り、自分と重ねたりして物語に入り込むための読解力と想像力であろう。それはきっと間違いないだろうが、だからと言って知識が不必要なわけでもあるまい。物語の背景を知ったり、実際のそれと比較してみたりすることもまた面白いものだ。知識が物語を読む上で必要だと断言できるかと問われれば難しいが、ある方がない方よりもより物語を深く、おもしろく見れるのだと思う。

だが、逆に想像力がなければ、発展することもできない。人間社会は発展していくうえで、一つの共通点がある。それは、産業の変化だ。社会が豊かになっていくにつれ、農鉱業が主体の第一次産業から、先の産業で得られる原料を加工する工業が主体の第二次産業、そして最後に、それらの第一、第二産業には分類されない、商業や金融、サービスが主体の第三次産業に推移していく。そして日本は、まさにその第三次産業が盛んな国の一つだ。日本の主要な都市にはオフィス街が形成され、日夜サラリーマンが懸命に働いている。発展した国家には必ずと言っていいほど見られる光景だ。そしてこのように産業の推移があれば、それと同じように求められる人材も変わってくるものである。第一産業が活発であった頃は肉体的に優れた人材が、第二次産業が活発だったころは機材を扱える知識を持った人が、そして第三次産業では、知識に加え、なにかを生み出す想像力が求められるようになった。小売業者であれば、ほかのライバル経営者に負けない思索を思いつく力、マンガ家や小説家などでは、読者の心を揺さぶる言葉選びや設定を考える力、ほかにも様々な職種で想像力が必要とされてきている。現代を生きるうえで、想像力の重要性は日に日に増しているのだ。

知識も想像力も、物語を楽しむ上では必要不可欠だ。物語を読むときは、そんな小難しいことは考えず、自分なりに気楽に楽しめばいいという意見もあるだろうし、それを否定することはしない。自分は本当に物語を楽しめているのだろうか、などと不安になって、かえって物語を楽しむことが出来なくなってしまっては本末転倒だ。気楽に楽しむことも重要だ。だが、物語を楽しむための引き出しはいっぱい持っておいた方がいいだろう。物語を読んで、自分の知識と照らし合わせるという楽しさを忘れてはならない。最近巷では想像力の重要性を説くことが多いが、だからといって知識の有用性を忘れてはならない。物語を楽しむために知識が必要になる場面はあるし、逆に社会を生きるうえで想像力が必要になる機会も多い。大切なのは、どちらも重要であって、どちらも卑下するべきものではないということを、きちんと認識することだ。