シンプル・イズ・ベストとは何か
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年月日
オーストラリアの原住民、アボリジニの一人が東京に来たときビルの入り口の自動ドアに驚き、「なんでこんなものが必要なのか。ドアなど手であければいいではないか」と言ったという。われわれはそういう思いがけぬ指摘で普段の生活がいかにムダなもので占められているかを思い知らされるのである。徹底してすべてを捨てたシンプル・ライフでいれば、自由でゆたかな心になれると思われている。
確かに、便利で快適な生活はよい。私は部活中に水筒の中身をすべて飲み干してしまい、のどが渇いても水分補給ができない状況に陥ったことがある。汗もかいていたので限界に達し、とても焦っていた。そんなときに、学校に自動販売機があったおかげで、飲み物を買うことができて、熱中症にならずに済んだ。このことにより、自動販売機の便利さに改めて気づいた。また、私が小学六年生だったころの、中学校の体育館にはエアコンがついておらず、毎年湯気が立ってしまいそうなほど暑かったそうだ。しかし、私たちが中学一年生になった年から、エアコンが設置され、涼しい体育館で過ごせるようになった。なんといっても、今や30度を余裕で越えてしまう日本の夏を、エアコンなしで乗り切るのは、熱中症になるリスクが高すぎる。そう思うと、エアコンや自動販売機などの便利なものがあることで、我々が快適な日々を送れていて、人間の生活に重要な役割を果たしているといえる。
しかし、機械的ではないシンプルな生活もよい。私は普段スマホで、「推し」の動画を見るのが好きで、長時間ていることが多い。しかしその都度、「あの時スマホを見なければ、その時間で作業ができたのに」と後悔してしまう事が多くある。さらに、スマホで動画を見る際、スクロールするだけで様々な動画が流れてくるので、楽しいように見えても、実際は常に自分が受け身でいることになっている。そうならないように、読書など、自分から自主的に想像したり考えたりできる事をしたほうがいいと思う。スマホなしの生活は私にとって、好きな「推し」の動画を見られなくなってしまうので非常に悲しいが、見ないほうが時間を有効に使うことができるというメリットがあるので、なるべく見ないようにしている。逆にスマホではなく読書をすることで、想像力が働きスマホでは得られないような、日々の豊かさを得られる。このように、機械を使わず、素朴でシンプルに生きることで、自ら行動しようとする積極性が生まれる。そのおかげで、機械的な面では見つからなかった、時間の余裕や心の豊かさを見つけることができる。
確かに機械化された便利で快適な生活にも、シンプルで素朴な生活にもそれぞれ良さがある。しかし、一番大切なことは、「人間は、求めているかぎり迷うものだ。」という名言があるように、とにかく迷ったとしても自分が幸せになれる生き方を見つけていくことだ。自分の幸せを迷いながらも求めて見つけることが、我々の人生においてとても大切なことだと思う。わたしはこれからも、自分が幸せになれる生き方を見つけるため、たくさんの物事や経験を通して、自分にとっての幸せをみつけていきたい。