学習とは
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第一に、学習することによって社会性を身につけることができるからだ。私は三、四歳からピアノを習っていて、今もコンクールなどに出場してピアノを続けている。今取り組んでいる曲に取り掛かるまでは、ピアノは将来何の役に立つのか、と思っていたため練習も辛く、苦しかった。しかし、今はピアノを弾くことがとても楽しくて、楽しんで練習している。なぜなら、自分の感情のコントロールの方法や努力することの大切さを学べたからだ。これらは、社会で生きていく中、他人と衝突した時、自分で努力しなければならない時など、様々な場面で役立つと思う。生活には全く関係ないと考えていたピアノから、私は礼儀、努力の仕方など、多種多様な社会で求められるスキルを学べた。一見役に立たなさそうな学習でも、自身の成長につながるのだと感じた。
第二に、学習することによって人間は大きく成長できるからだ。ヒトの脳は、学習によって構造が変化するらしい。例えば外国語を新しく学んだとすると、脳は、比較的肥大し、密になる。言語学習を数ヶ月続けると、記憶を司どる「海馬」や言語処理を行う箇所の容積が増加し、情報伝達に使う神経の接続性が強まり、脳内のネットワークがより効率的に情報をやり取りできるようになるらしい。さらに、これは年齢に影響されない変化であり、大人や年長者が学習を始めた場合でも変化が確認されているらしい。私たちは、歳を重ねてもなお学び続けることで、充実した脳、人生を送ることができるのではないだろうか。
確かに、遊ぶことも時には息抜きとして重要だ。しかし、目が悪くメガネをかけ続けると目がモノを見ようと努力しなくなるように、遊びすぎは禁物だ。「辞書のような人間になることではなく辞書をうまく使えるような人間になることが勉強の目的である。」という名言がある。ただ知識を詰め込むだけの勉強は、学習というのだろうか。今や何でもAIだ、インターネットだ、と自分の脳で考える事を諦めている気がする。学校でもそうだ。わからなければ調べて良い、と言われ、私たちは考えることを放棄し、楽しようとしている気がする。知識を詰め込むのは、AIだけでいい。自分で考えることのための材料として知識を詰め込むことは良いと思う。本当の学習とは、ヒトにしかない、素晴らしい「脳」を活用し、得た情報から感受性を活かして感じ取ることであり、新しく創造していくためにこそ必要なことだ。私は、人間にとって学習することが良いことだと考える。