日本語を世界普及にするには(清)

    ()  年月日

 私の学校の一年生の友達に、海外出身の男の子がいる。イントネーションや単語は大体あっていて、暗記していて、すごいと思う。しかし、その子はあるとき

「昨日、お姉ちゃんで遊びに行った~!」

と無邪気に私に教えてくれたことがある。周りの子に

「「で」、じゃなくて「と」でしょ。」

と言い間違いを注意されていたが、その子自身はきょとんとして、何について指摘されているのか、自分が言い間違いを犯したのかすらわかっていない様子だった。単語記憶しているから、多分、文法や、仕組み等が、母国語とあまりにも違いすぎて混乱してしまうのだろう。その言い間違い自体は、可愛くてちょっとしたことなのだが、その間違いが指摘され、言いたかったことの話題として広がらずに、笑われて完結してしまっている。実際はそんなことは無いのかもしれないけど、勝手に可哀そうだなぁと同情してしまう。たった一文字で、伝えたかったことが伝わらなかったりしてしまうなんて、日本語はとても難易度の高い言語である。私は英語に興味があり、勉強している。2年間ほどしか学習していない私でも、英語は文法さえ覚えれば、あとは熟語を当てはめていくだけで言いたいことを表現することができる。しかし、日本語の場合、語尾に何かをつけたり、単語と動詞などをつなぐ『を』『に』。色々と複雑な作りになっている。例えば『美味』ということを表現するだけでも、『おいしい』『おいしいね』『おいしいよ』『大変美味ですね』などと、たくさんの言い方があり、それぞれに微妙なニュアンスの違いがある。美味と表現すると、教養のある上品な大人が言ったような感じがする。また、同じ美味しいでも、勧めていたり、一緒に食べていたりなどとそれぞれに適した情景が自然と頭の中に浮かぶ。日本語は表現のバラエティに非常に富んでいると思う。

 母から私の小さい頃の話を聞いた。あるドリルを解いていた時に、私はオオカミをオウカミと書いてしまい、母に

「なんでオウカミじゃなくてオオカミなの?」

と聞いたことがあるらしい。また、

「どうして『に』『を』じゃなくて『は』を使うの?」

というような疑問を私はたくさん持っていたそうだ。しかし、それに対しては母はうまく答えることができずに、

「そういうものだから……」

と言ってしまったらしい。確かに、実際日本語には直感的な部分がある。自分の中で、助詞の違いは何なのだろうか?と問いてみても、なかなか答えは見つからない。日本語は、日本人にとってさえも、練習が必要な、難解な言葉なのである。まるで何も書いていない真っ白なパズルのように、はめてみないと、その文がおかしいことに気づけない。理屈ではなく、勘でピースを当てはめていくのである。これでは、外国人が簡単に理解できるはずがない。言葉が通じることで、新しい絆や関りが生まれるのに、基準が同じでないと、対話することができない。これからの日本語は、もっと整備された言葉であるべきであると思う。

 言葉とは、人間にとって相手とつながるための大切な道具である。だから、小の虫を殺して大の虫を生かすというように、より分かりやすく、今の言葉に満足せずに、改良していく必要がある。