「必要か」を超えて

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 「必要」は英語でニーズとウォントという二通りの表現方法がある。同じような訳し方をしつつも、ニーズは理性による判断から生まれた「必要」、ウォントは現在の自分の情念から生まれた「必要」を指している。人間は何らかの方法でニーズから割り出したものがウォントに切り替わらないかぎり、どこかで挫折するのではないか。創造と飛躍の原動力は内なる欲望の力、それはニーズではなくウォントなのだ。だからこそ、私は「必要だからする」というのではなく、「やりたいからする」という内なる熱い動機を大切にした生き方をしたい。

 その方法として第一に、自分で考え行動に移すことが挙げられる。周りに惑わされずやりたいことを決め、実際に行動に移すことは自分にしかできない貴重な経験である。私の委員長への立候補も同じだ。入学当初から生徒会での活動に関心があり、それを最も身近に支えられる役職として三年間選択してきた委員会がある。生徒会選挙の票数確認の作業や生徒総会に向けての金額の計算など「縁の下の力持ち」としての活動を行っているが、この楽しさややりがいを引きつぎ、委員会をまとめたいとの思いで今年委員長に立候補した。魅力的で毎年人気のある委員会だが、生徒会と関係が深い分、どこよりも仕事内容が多く複雑であることも事実である。しかし、前期最高学年としての今年の挑戦機会を貴重なものとして受け止め、周りにも自分の思いをきちんと伝えることで、ついに選ばれることができた。しかし、その先にある業務は甘くない。先週行われた先徒総会では準備から片付けまで昼食も口できないほどの忙しさだった。しかし、自分が本当にやりたいと心に決めた役目だからこそ、責任感を持ちつつ、新たな環境や多忙ささえ楽しみながら日々過ごしている。人生は選択の連続である。だからこそ、その選択一つ一つを自分らしく決めていくことが豊かでやりがいのある毎日にするのだろう。

第二の方法として、「必要か必要でないか」ではない、あえて非合理的な道も作ることだ。人間は合理的に動きつつも、根は非合理的であると私は考える。だからこそ、少しの意外な仕掛けがやる気を掻き立てることがある。私の学校の文化祭での展示の一つも当てはまる。有志ブースの一つに「仕掛学」を活かした展示があった。これは、たとえ他人から強制されていなかったとしても自然と手を動かしたくなる設備のことである。例えば、バスケットボールリングの付いたゴミ箱がある。これは、単純な仕組みではあるものの、億劫に感じやすいゴミ捨でも自分から「やりたい」に変え、老若男女にとっての楽しみに繋げる力を持っている。展示には更に、展示に関する紙のアンケートを紙飛行機で飛ばすことができる、というものもあった。これはアンケートに対して気乗りのしない人々や文化祭に訪れる子供達に対してその協力をそっとお願いするものであるのだろう。確かに合理性の観点から言えば、これらの工夫の価値を見出すことはできない。しかし人間には感情がある。だからこそ、環境という外的支援を通して内なる熱い動機を掻き立てることも時には必要なのだ。

 確かに「必要なこと」を行わなければ社会の中で自分の役目を見つけて活動していくことは難しい。社会での活動を犠牲にし、自分のやりたいことを押し通すことは単なるエゴに過ぎない。だが、「天才は有限だが、努力は無限だ。しかし、努力は天才に勝てない。なぜなら、努力する者は楽しむ者に勝てないからだ。」という言葉がある。「やりたいからする」という主体的な姿勢は責任と同時に大きなエネルギーを持っている。だからこそ、「求められているか」ではなく、「やりたいか」をもとに選択し、生きていける人間に、私はなりたい。