集団

   高1 あおてね(aotene)  2026年5月4日

 一つに集団は、一人の裏切り者と、一人の犠牲者を生み出すことによって完成される。私は、はじめにキリストがあって、そこに十二人が従ったという説を、ほぼ信じない。創世記に、アブラハムについての奇妙なエピソードが語られている。神はアブラハムを試みて言われた。「アブラハムよ、あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で、彼をささげなさい。」ここから、私は「裏切者」がやがて発明されねばならないという予感を読み取れそうな気がする。私たちは内部に敵を作らなくてもやっていけるように個々人が強くなるべきだ。

 第一の方法として、自分で何かミスをした時、相手のせいにしないこと。私は、卓球をすることも見ること、両方好きだ。私はよく団体戦を観戦していることが多い。日本の卓球界は世界の中でもトップレベルの実力を持ちほとんどの国際大会で決勝進出している。そして決勝の相手は、中国の可能性がいつも高い。最近はヨーロッパの国も卓球が強くなってきたがやはりまだアジアが強さを世界に見せている。日本はもちろん毎回思い通りに上手く試合が進むわけではない。なぜなら中国の方が実は日本人より世界ランキングなどの順位が高い有力な選手が集まっているからだ。卓球男子がついこの間、大事な国際大会で中国に惜敗してしまった。そこで試合後のインタビューでエースそしてキャプテンの張本智和選手以外の選手が涙を流している中、張本選手はインタビューで「僕が大事なところでミスをして負けてしまったから日本は負けた。全ての責任は僕にある。」と話した。もちろん負けたのは張本選手だけではない。しかし、自分がチームを引っ張っていく以上きちんと責任を担わないけないということがこの状況から伝わる。団体戦はチームの中で絶対敵を作ってはいけない。つまり団体戦は強さより雰囲気のほうが大切だ。そんな雰囲気作りを張本選手はキャプテンとして行ったのではないかと思った。

 第二の方法として、学び合いを率先して行うこと。高校生になって、周りのレベルは自分と同じくらいになった。それでも中学とは変わらないことがある。それは授業中の学び合いだ。むしろ中学の時よりも盛んになったほどだ。自分の席の近くの人や隣の人と意見交換や解答の照らし合わせをしたりして、間違えを指摘して教えてあげたり逆に教えてもらう時もある。高校はレベルがみんな同じくらいだから自分ができたところはみんなでき、間違えたところは間違えていると私は勘違いをしていた。しかし、実際は違う。人それぞれ得意、不得意があり必ずしもみんな同じとは限らない。だから、授業中の学び合いはとても有意義だと感じる。私は英語の先生に授業中「英単語が覚えられない人はできる人にやり方を聞いて、自分にぴったりなやり方を探してください。」と言われたことがある。学び合いを通して今までにない新しいやり方や方法を見つけることができる。だから、学び合いは大切だ。

 確かに内部に敵がいる必要もある。敵がいると自然とやらないとと思い相手と切磋琢磨することができる。しかし、個々人が強くなるということは、ただ自分の技や持ち前のものをただ磨くのではなく、社会に通用するような状態にすることである。私がわざわざ義務教育でもない高校に通うのは、ただ成績上位を狙うだけではなく、社会に出た時に必要最低限または、相手との共通話題を増やすために通うと考えている。これからは自分の世界から社会という広い世界に視点をあてて生きていきたい。