間をとることの大切さ
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年月日
話し上手の人がいる。しかし、その人をおしゃべりとは呼ばないだろう。饒舌の人は、とにかく「間」をとることに気が回らなかったり、「間」の必要を感じていない場合が多いのに対して、話し手とよばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入れている違いがあるように思う。風も通さない饒舌は、聞いているほうも苦しくなり、終わった時には、さて、何を聞いたのかということにもなりかねない。余韻とか余情、ふくみ、それらはすべて、「間」のいかし方にかかわっているように思われる。「間」を必要とするのは、必要とするだけの実質をそなえているもの、ということになるだろう.私たちは間を生かしそれにふさわしい内容を備えることを心がけたいものだ。私は間を取ることには少し日本の独特の感性が影響されているような気がする。落ち着いているようで戦いの時には熱気を発する武士のような本来の気質を中に秘めている人間性は良い立ち回りをする。その点でも間を取ったり、少し落ち着いている中の「波」のようなものは大切であるといえる。
第一の理由は、間がないと自分の中で噛み砕いて考え、自分のものにすることができないからだ。立板にみずで、早口に捲し立てるだけでは左の耳から右の耳へと抜けるばかりで一向に内容が掴めない。間を取ることでもう一度頭の中で言葉を整理し自分のものとして吸収する時間が与えられる。もし頭の回転が速い人ならさらに自分の考えを話者に伝えることができるだろう。私は日直のスピーチなど大勢の前で喋るのが苦手である。低学年の時には恥ずかしくてドキドキする心臓の音に合わせて猛スピードで喋っていたものだから「もう一度言ってほしい」と何度も言われた。その時は「なんで今喋ったのにもう一回聞くんだろう」と疑問に思っていたが、今思えば、小さな声でモゴモゴと喋るのに加え早口で何を言ってるのか入ってこなかったといいうことなのだ。低学年の頃は幼さで、話を聞いていないのではないかと思ったがとんでもない勘違いである。向こうは私の話をちゃんと聞こうとして「もう一回言って」とわざわざ言ってくれたのだ。中学生になった今でも早口になってしまうことはあるが相手に伝えるということを意識して時間をとりながらゆっくりとスピーチを進めることができるようになりたい。
第二の理由に間を取ることでコミュニケーションの幅が広がるからだ。良いセールスマンは高い声で売りつけるよりも低い声の方が相手に安心かを与え買ってもらいやすいそうだ。それは子供が自分の主張をキンキン声で伝えるのに対し、大人は低い声でゆっくりと喋るからだそうだ。まるで「別に買わなくてもいいけれど」というような体で話しかける。これも声の高さや低さで伝える「コミュニケーションのツール」である。間でも表現の幅を広げることができる。畳み掛けるように話されると嫌な気分になるように、たまに喋らずにシンキングタイムをとるとその逆でプラスの気分になるとも考えることができる。仲良しの熟年夫婦は、沈黙でも気まずくないそうだ。普通友達や両親であれば沈黙になると少し居た堪れなくなるが長い信頼関係の中で築いた間というコミュニケーションの使い手とでもいうのだろうか。
確かに内容の充実を考えることも大切だ。しかし、み「短いスピーチが長いスピーチよりも難しいのは言い直しが効かないからである」という名言と似たように、短いスピーチで一瞬で内容をいい大量の知識を詰め込むよりも、間を大事にして良いコミュニケーションにすることが大切だ。