会話の間
中1 ゆき(aonari)
2026年5月4日
話し上手とよばれる人は、意識して、あるいは無意識のうちに、うまく「間」をとり入れている違いがあるように思います。適宜、風を吹かせながらの饒舌であれば、聞き逃されることも少なく、風のあいだに相手が連想し想像し思考する余裕を与えておいて、更にたたみかけるのもいいでしょう。余韻とか余情、ふくみ、それらはすべて、「間」のいかし方にかかわっているように思われます。
私は、会話に間を生かすべきだと思う。その理由は二つある。
一つ目の理由は、間があることで会話がわかりやすくなることである。どちらかというと饒舌である。人と話す時、つい自分が喋りすぎてしまうのだ。幼稚園のころなど、友達を相手に息つく間もなくずっと喋っていて、今になってとてつもなく申し訳なくなった。最近は聞き役にまわったり、自分が喋りすぎているなと感じたら相手にも質問を投げかけたりして努力している。それでもついつい喋り過ぎてしまうこともあるので、友達と会話するのに細心の注意を払っている。
二つ目の理由は、間がないと記憶に残らないからだ。英語のリスニングの時、早すぎて聞き取れない時がたまにある。ただ単に英語ができないのも理由だと思うが、もし英語ができても聞き取りにくいと思う。聞き取れたとしても、後で何を言っていたか思い出せないのである。実際に、私も英語のリスニングで、その前に言っていたことがなかなか思い出せず、苦労した。日本語だったとしても、あまりに早口だと聞き取れない。学校の先生が重要な所を次々と話すので、何を言っていたか思い出せなくなったことがある。もしそこに少しの間を加えれば、その間で少し考えることができるので、記憶に残すことができる。
確かに、会話に間を取りすぎても逆に不自然である。だが、「間の垣根が友情を新鮮に保つ」というイギリスのことわざがあるように、ちょうどいい間があると、会話がはずむ。だから私は会話に間を生かすことは良いと思う。私も、日々の会話の中に「間」を取り入れようと思った。