言葉とは

   小6 あけしよ(akesiyo)  2026年5月4日

 「桜前線」という言葉があるが、季節感はやはり「梅一輪ほどの」や「風の音にぞ」といった微小感覚のものであり、大きく見渡すといったところで、「柳桜こきまぜて」という程度であって、日本列島全体を見下ろすスケールはどうにも花見のさまでないと筆者は考えている。また、昔からある「花便り」のほうが、はるかに風情に富むのだと主張している。さらに、枝を離れた花弁が、地面に達するまでの間の状態をぴったりと表す言葉がないということに筆者は気付いた。筆者は、花便りは日本語になくてはならない言葉だと考えている。

 僕は筆者と同じようにうまく言葉が出てこなかったことがある。それは、作文を書いている時だ。とくに最後のまとめにぴったりな言葉がなかなか見つからない。僕が特に悩んだのは、折り紙についての作文を書いた時だ。僕は折り紙が大好きなのに、それがどのように好きなのかがうまく言葉にできなかった。その時は、まるで、頭の中の言葉がぬきとられたようだった。

 お母さんは、僕が生まれて幸せだと感じていた。でもこの気持ちを表す言葉が無いと思っていた。「愛しい」や「かけがえのない存在」などの言葉は当てはまっているが、まだ物足りなさを感じる言葉だと思っていたそうだ。しかし、僕が幼稚園の頃に、百人一首を読んでいたら、

「あいみての、のちのこころにくらぶれば、昔はものを思はざりけり」

という歌を見つけた。この歌は、

「あなたに出逢って、初めて本当に愛するということを知りました。この気持ちを知った今は、昔は愛がなんなのかさえ、知らなかったことに気が付きました。」

という意味だ。本来は恋人への思いをうたったものだが、恋人ではなく子供への思いに置き換えてよむと自分の気持ちにぴったりと当てはまっていて感動し、それ以来、百人一首のファンになったそうだ。

 もし僕が作者だったら、桜の散る様子は」その時の天気や、桜の数によって違ってくと思った。例えば残りの桜が少しの時に、

「桜の花が虫の大群のように一斉に散った」

という表現はおかしい。でも、その時に応じて言葉を変えるのはとても難しい。

 僕と筆者は、思ったことをなかなか言葉にできない。言葉とは、人間にとって思っていることをうまく表せない不便な道具なのだろうか。そうではないと思う。お母さんはいろいろな百人一首について調べたら、ぴったりの言葉が見つかった。だから僕もなにかを頑張って調べれば、そのうちぴったりな言葉が見つかるだろう。言葉とは、人間が考えるためのあるものなのだ。