物の価値

   中1 あえほあ(aehoa)  2026年5月4日

 木が本来持っている価値を生かすことと、商品として高く売ることは、必ずしも一致しない。たとえば、製材工場を訪ねても、スギやヒノキなどの国産材をひく工場と、輸入材をひく工場とでは、雰囲気がずいぶん違う。この流れのなかに、美しく、大きく森を育てていこうとする村人の腕や、製材職人の腕、木の特性を生かしていこうとする大工の腕などが健在である間は、木と人間は一体化して、木の文化もつくりつづけることができる。わたしは、物の価値をお金に換算せずに考える方が良いと思う。

 その理由は第一に、お金に換算して物の価値を考えると、その物の本当の価値が見えなくなってしまうことがあるからだ。実例として、小学生とき、学校の帰り道で、友だちが道ばたに咲いていた小さな花を見て「これって買ったらいくらなんだろうね」と言った。たしかに値段をつければわかりやすいし、比べるのも簡単だ。でも、その瞬間、なんだかその花が急に“値段のついたモノ”に変わってしまった気がした。さっきまで「きれいだな」と思っていた気持ちが、どこか遠くに行ってしまったようだった。友だちと別れて、一人で帰っている時も、そのことをずっと考えていた。たとえば、友達が誕生日にくれた手紙は、紙とインクだけなら数十円かもしれない。でも、そこに書かれた言葉や気持ちは、お金では測れないくらい大切なのだ

 第二に逆にお金に換算しないで考えれば、本当の価値が見えてくるからである。実例として、昔クラスの友だちが急に「これ、あげるよ」と言って、小さな折り紙の星をくれた。よく見ると、ちょっと形がゆがんでいて、色も少しはげていた。でも、その友だちは休み時間にずっと折り紙を練習していて、「やっと上手くできたやつなんだ」と照れくさそうに言った。そのとき、ふと思った。もしこの星に値段をつけるとしたら、たぶん数円とか、もしかしたら“価値なし”とされるかもしれない。でも、実際に手に取ってみると、そんな数字では表せないあたたかさがあった。友だちが何回も失敗して、それでもあきらめずに折った時間や、わざわざ自分に渡そうとしてくれた気持ちが、この小さな星の中にぎゅっとつまっているように感じた。お金に換算しないで物を見ると、逆にその物が持っている本当の価値が見えてくることがある。

 確かに、物の価値をお金に換算して考えた方が簡単だし分かりやすい。だが、「自分

の心のうちに持っていないものは何一つ自分の財産ではない」という名言があるように、お金に換算できない物の価値を大事にするべきなのだ。