情報伝達
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フィクションの書き手は、在らしめたるために創ろうとする。創造することによって、事実の核に到達できないという絶望から解き放たれる。自分の身の丈に合った事実に接近できる。一方、ノンフィクションの書き手は、在るものを映そうとする。ノンフィクションのライターにできることは、事実の断片を収集することでしかない。事実の核にたどりつくことはできない。なぜなら、事実の断片と断片の間は埋まらないからだ。わかることより、わからないことがある。ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関する一つの仮説にすぎないのだ。フィクションは、創造をし、事実を在らしめ、ノンフィクションは事実についての仮説を立てる。しかし、そしたらノンフィクションとフィクション、どちらで情報を相手に伝えればよいのだろうか?
まず、自分の考えを伝えるときは、事実をありのままに伝えることが重要である。新聞、テレビ、ラジオなど様々なメディアでは、正確で的確な情報が求められる。人間は、噂を信じやすい。そのため、自然災害や戦争などの状況で、誤った情報が誰かの耳に入ると、誤解やデマを生むんでしまうことがある。このため、大きな災害や問題があった時、SNS上でいわゆる「フェイクニュース」などが起き、人々がそれを信じてしまい、適切でない判断をしてしまったり、責任を押し付けあい、相手を非難しあったりしてしまう。したがって、真実をそのままを広めることは、すべての人に安全と安心をもたらすだけでなく、信頼を築き、適切な行動をとるためにも非常に重要だ。
また、反対に、創造力を交えて事実を伝えるということも大切だ。共感力を得たり、人を説得するためには最も効果的な方法である。災害から日々の体験を語るときには、創造力を加え、臨場感を味わえるのだ。例えば、どの実話をもとにした小説も、わからないことを創造力や想像力によって補い、説得力を強くし、視聴者や読者に伝えたいことを一生懸命伝える。海の上で起きた悲劇を描く「タイタニック」の映画では、事実に加え、想像力を働かせて考え出した、物語の世界観がある。その「世界観」があるからこそ、物語のメッセージが強く視聴者の心に刻まれる。さらに、創造力を利用することによって、事実をもう少し「やわらかく」することができると思う。創造力は真実という薬を飲みやすくする甘い水のようなものだと考える。硬くてひどい、例えば重い病気にかかってしまった、などの真実は、そのまま伝えるのではなく、オブラートに包んで、そっと伝えるものなのではないか。
このように、相手に情報伝達するときには、事実を重視することも、創造力を大事にすることも大切だ。しかし、それだけでは十分でない。「吐いた唾は呑めぬ」というように、一回発した言葉は、時間のように二度と取り消すことができない。だからこそ、どの方法を使って情報伝達をする、という問題ではなく、相手を第一に考え、目的を頭に入れ、責任感を持ち情報を発することが一番重要なのだ。