美
高1 あうえあ(auea)
2026年6月1日
美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言いあらわす言葉である。自然の美の本質は、美醜の対立を超越したところにある。自然には醜いものがない。醜いものに対する美しいものがあるのではなくて、どんなものもそのままの性質において美しいのだ。この超越性の故に自然美は究極の美であり得る。しかるに人間の造型美は、人間が持つところの意識や欲望や迷妄や懐疑、その他もろもろの執着心の規制を、どうしても受けざるを得ない。けれども、近代に始まった美術は、当初から人間の能力に絶対的な信頼をおいて出発したものであり、才能と個性への賛美によって貫かれてきた。自我を基調とし、煩悩を素材とする方向を目指してきた。人間性の認識を目途とする近代の成行は、人間の作り出す美にしか関心を示さず、視界に入れなくなってしまった。美の基準は個性におかれ、醜()と対立する美という範囲内でしか考えられなくなり、自ら美の次元を低い段階に限定する状態となったのであった。
私は、美とは本来、自然がもともと持っているものであり、私たちはその美しさにもっと目を向けるべきだと考える。しかし現代では、人が作り出した美しさや理想的な見た目ばかりが注目されている。そのため、自然の美しさを見失っている人も少なくない。自然の美しさを見直す第一の方法は、自然と触れ合う機会を増やすことである。私たちは毎日忙しく生活し、スマートフォンの画面を見る時間が長くなっている。しかし、空の色や季節ごとに変化する景色、雨上がりの空気など、身近な自然にも多くの美しさがある。例えば通学、通勤中の電車や車などでもスマホに目を落とすのではなく窓の外を見ることで自然を感じることはできる。少し意識を向けるだけでも、自然の魅力に気づくことができるだろう。
第二の方法は、美しさに対する考え方を見直すことである。現代ではSNSなどの影響もあり、理想的な顔や体型が「美しい」とされることが多い。その結果、自分の容姿に自信を持てず、整形や過酷なダイエットをする人もいる。しかし、人間の美しさは決して決められた基準だけで測れるものではない。むしろ自然な表情や個性、その人らしさに魅力を感じることも多い。美は多様性である。私たちは他人が作った基準に合わせるのではなく、美しさにはさまざまな形があることを認めるべきだと思う。
確かに、人間が生み出した芸術や美容にも価値はある。自分をより良く見せたいと願う気持ちも自然なことである。しかし、美しさを一つの基準で判断し続けると、本来私たちの周りにある自然の美や個性の美を見失ってしまう。美とは競争によって決まるものではなく、それぞれが感じ取るものである。だからこそ私は、自然がもともと持つ美しさと、一人ひとりが持つ個性の美しさにもっと目を向けていくべきだと考える。