能役者の足の動きという具体的なテーマから始め、そこに込め(こめ)られた「型が力を生む」という独自の身体観を丁寧(ていねい)に説明している点が非常に優れています。

また、その思想が現代日本社会の過度な「型」への価値づけと結びついていることを論じ、社会問題としての校則や外見による無意識の判断に話を展開している構成もよく考えられています。

自分の中学校と高校の校則の違い(ちがい)を具体的に挙げているため、説得力が増していますし、体験実例が効果的に使われていることも評価できます。

さらに、外見と内面のギャップについての考察や、「人は見た目ではなく中身だとよく聞くが、結局のところ無意識に人を見た目で判断している」という指摘(してき)は、深い洞察(どうさつ)を感じさせます。

最後に「人間がすむせかいというのは、水槽(すいそう)ではなく世界なのだから」という結びの表現は、文章全体のテーマをうまくまとめており、印象的です。

全体を通して、具体例と自分の考えがバランスよく盛り込ま(もりこま)れていて、読み手にわかりやすく伝わる文章になっています。

原因がよく書けています。
社会問題の主題がよく書けています。
体験実例がよく書けています。
書き出しの結びがよく書けています。

内容★ 構成◎ 題材◎ 表現◎ 主題◎ 表記◎

字数/基準字数:1262字/600字
思考点:100点
知識点:82点
表現点:85点
経験点:80点
総合点:88点
均衡(きんこう)点:2点

 


■思考語彙 29種 37個 (種類率78%) 100点
n確か,n第,、第,。しかし,。だから,。一方,いるから,いると,からこそ,が思う,その第,た場合,だから,だと,だろう,つけざる,できるかも,できるらしい,と思う,ないと,なると,なろう,に思う,もらうため,やぶろう,れるため,彫らざる,染めざる,生み出すため,

■知識語彙 64種 93個 (種類率69%) 82点
世界,中学,中学校,中身,人間,価値,個性,傾向,先生,全体,内面,判断,制服,印象,原因,周囲,問題,地域,場面,外見,大切,学校,対照,強要,思想,態度,払拭,揮発,教育,日本,日本人,服装,校則,標準,水槽,沢山,注意,派手,無意識,特徴,独自,現在,現場,理想,生徒,生活,異様,目的,社会,稽古,結局,統一,能役者,自分,自然,自由,行動,規定,身体,過度,集団,風体,高校,髪型,

■表現語彙 126種 216個 (種類率58%) 85点
n確か,〇,うち,かい,こと,これ,すぎ,そこ,それ,たち,た場合,だめ,とき,ところ,なか,ほう,まわり,みんな,もってのほか,もらうため,よう,れるため,ろう,ピアス,ホンワカ,一,世界,中学,中学校,中身,二,人,人間,今,他,仲,体,例,価値,個性,傾向,像,僕,先生,入れ墨,全体,内面,判断,制服,力,動き,勘違い,印象,原因,収,周り,周囲,問題,地域,型,場面,外見,大切,学校,対照,強要,当たり前,心,思想,性,態度,払拭,揮発,教育,方々,日本,日本人,服,服装,校則,構え,標準,水槽,沢山,注意,派手,無意識,特徴,独自,現在,現場,理想,生み出すため,生徒,生活,異様,的,目,目的,着こなし,社会,私,稽古,細か,結局,統一,考え方,能役者,自分,自然,自由,色,行動,見た目,規定,話,足,身体,通り,過度,限り,集団,風体,高校,髪の毛,髪型,

■経験語彙 41種 66個 (種類率62%) 80点
おる,が思う,くりかえす,ことなる,しまう,しれる,すむ,せる,ためらう,つける,づける,できる,と思う,に思う,はみ出す,もらう,やぶる,やる,られる,れる,与える,収まる,受ける,奪う,彫る,染める,歩く,比べる,深める,生まれる,生み出す,生む,考え出す,聞く,薄れる,表れる,見える,設ける,話しかける,通う,開ける,

■総合点 88点

■均衡点 2点
 

世界に住んでいるのだから
   高2 あおそふ(aosohu)  2026年6月1日

 能を見るとわかるが、能役者の足の動きは独特である。日常現実の生活では、人間が絶対しない動きをする。その動きを身に着けるには、体全体の構えができるようになると自然にできるらしい。足だけの稽古ではだめなのだ。美しく、人の心を奪う異様な力がある足の動きというのは、型をくりかえしているうちに力が生まれる。力が型を生むのではなくて、型が力を生むのだ。これが日本人の少なくとも能役者の考え出した身体に対する思想である。この考え方は、外見や身体に対する過度な価値づけがされてしまうというのが問題である。

その第一の原因は、理想的な「型」に収まることを強要される場面が日本社会において多いことだ。

その傾向は学校教育の現場にも見られ、生徒の服装や髪型、生活態度などに細かな規定を設ける校則として表れている。私が通っていた中学校は、服装、髪型の自由が与えられており、標準服(制服)の着こなしもあまり先生のほうから注意を受けることなく他の中学校と比べて校則が緩かった。そんな中学生活とことなり、現在通っている高校では、服装の自由は与えられていない。髪の毛を染めることや、ピアスを開けることなどはもってのほかだ。こういった校則を設ける目的は、集団の統一性を生み出すためと、地域の方々から「さすが〇〇高校」と思ってもらうためというのが大きいと思っている。私たち日本人は、若いときから校則など型に収まることを強要されるためそれが日本人のなかでは当たり前となっている。当たり前になっているからこそ型をやぶろうとする人が少ないのだと思う。

第二の原因は、人間の内面よりも目に見える特徴で人を無意識のうちに判断してしまうことだ。

沢山のピアスをつけ、髪の毛を揮発な色に染め、体に入れ墨を彫って、オラオラと歩いていたらほとんどの人が、怖い人と判断するだろう。中身がどんなに優しい人でも、このような風体でいると怖い人と勘違いされるだろう。そして、周囲の人は話しかけるのをためらうだろう。一方で、ピアスを沢山はつけず、髪の毛もそこまで派手な色には染めず、体には入れ墨を彫らず、ホンワカしている人は、周りから優しい人だと思われる。この対照的な二人の例は、第一印象においての話になる。仲を深めるうちに、怖い人という印象が払拭することができるかもしれない。しかし、外見で怖い人だと判断した場合、よっぽどのことがない限り仲を深めることはできないだろう。人は見た目ではなく中身だとよく聞くが、結局のところ無意識に人を見た目で判断しているのだ。だから、こうありたいという自分の理想像になろうと無意識に思うのだ。

確かに、型に収まるということは集団行動においては大切である。私はこうしたい、僕はこうしたいと、みんなが思いその通りにやっていたら社会なんてまわりはしないだろう。しかし、今の日本は型に収ろうとしすぎである。ある程度、型からはみ出さないと一人一人の個性や独自性が薄れてしまう。人間がすむせかいというのは、水槽ではなく世界なのだから。