情報の受け取め方
中3 あかるら(akarura)
2026年6月1日
テレビで見える戦争の部分と見ない部分の差が表れたことが湾岸戦争の大きな特徴である。大量の情報が公開されていることは、私達が情報で満たされていると錯覚させるが、それは真実を隠す目くらましであるとも考えられる。とりわけテレビは情報戦宣伝戦の時代において大量の情報を流出させる一役を担いやすい。自らをメディアに露出したいと必死に望む状況は、メディアにとって新しい危険な状態である。だからこそ、私は目に見えるものをそのまま信じ込んでしまうのではなく、その裏側にあるかもしれない真実を見極められる人間になりたい。
そのための方法として第一に、発信と受信の差を考えることだ。一つの情報、一つの映像であっても視聴者である私達に届くまでに様々な切り取りや編集が重ねられていることは想像に難くない。例えば、私は学校の授業で広告に関する講義を受けたときのことだ。広告を作るからにはやはり「どのように見せれば購買意欲を高めることができるか」が争点になる。目を引くデザインはもちろん、誇張表現を含めたり、ターゲットに語りかけたりするなど巧みなテクニックから毎日目にする広告は作成されていることは、私の広告に対する見方を変えた。今振り返れば、一つの商品であっても読者や閲覧者への見せ方は多様に繰ることかできるというのが印象的な単元だったと言える。これはニュースでも同じである。選挙の度に話題になる立候補者の「切り取り」映像のように、私達の目に届く多くの映像は編集されており、それはブラックボックスと化している。この便利な世の中で情報の出所を自ら確認、検証していく作業は骨が折れるだろう。今画面に映っているマスメディアの情報を全て批判的に捉えることは難しかったとしても、発信者と受信者の間には常に隔たりがあること、また全ての情報には私達に届くまでの経緯があることを私達は心に留めておく必要があるのだ。
第二の方法として、一つの意見にこだわらないことが挙げられる。「類は友を呼ぶ」という言葉があるように人間は自分と同じ考えにしがみつく傾向にある。特にSNSの発達によってこのことはより顕著になっていると言える。例えば、アメリカで起こった連邦議会議事堂襲撃事件も同じである。2020年度の大統領選挙後に「勝利が盗まれた」といった陰謀論が主要SNSを通して拡散され、信じた多くの人々がついに議事堂に乱入するという、世界中に衝撃を走らせた問題にまで発展した。もしもより多くの人が情報を多角的に捉え、冷静に受け止め判断することができていたならば、死傷者が出るほどの大規模な活動には発展していなかっただろう。このニュースはもはや過去の一事件と言って済まされない。日本でも大災害の度にフェイクニュースが世を駆け回るように毎日のように世界中のどこかでは間違ったメディアの使い方、情報の捉え方によって多くの被害が出ていることは事実である。情報は自分の考えを広げるためにあったはずだ。その一つの情報から何を読み取り、どのような行動を起こすのかは使い方次第なのだ。
確かに、私達は目に見えたものを全てだと思い込む傾向にある。しかし「多数の足音に、まどわされるな。」という言葉がある。特に同調圧力の根強く残る日本では間違った情報も広まりやすく、強力な力を発揮することがある。時代が進むにつれ伝え方も多様化した今だからこそ、私達も世の中に溢れる情報を常に中立の立場を持って冷静に受け止める必要がある。だからこそ、メティアに対するリテラシーを身に付け、目に見えたものの裏側にあるかもしれない真実を見極められる人間に、私はなりたい。