シンプルさ
高2 あうては(auteha)
2026年6月2日
コンピュータに限らず、複雑なハイテク機器を自由に使いこなすということは容易なことではない。いつまでもわけのわからない、使い勝手の悪い製品が市場に溢れ、ごく一部の人たちだけが技術の成果を享受しているにとどまってしまう。このために何よりもまずテクノロジーの産物としての道具は、すべて人間にとって使いやすく、親しみやすく、身体に馴染みやすいものであるべきだという考えをはっきり表明し、しっかり掘り下げておくべきだろう。このような考え方を一般的にユーザー中心主義と呼ぶ。「本当は所詮道具なんですよ。あなた自身がご主人なんですよ」という発想をしてみることからコンピュータのあり方を考えてみるのは十分意味があるだろう。道具を私たちが扱えきれなくなっているのは問題だ。
第一の原因は、操作が複雑化しているからだ。かつては、道具と機能が一対一対応していたものが、最近では一つの道具に複数の機能を詰め込むことが当たり前となってきている。スマホがその最たる例であるし、乾燥機能のついている洗濯機などもその一例であろう。私が昨年高一の時の学年旅行の際に大井川鐵道で購入したSL型の走る時計も、おもちゃと時計とアラームの機能が一つに詰め込まれていて、未だに操作を覚えきれていないため説明書が手放せない。他にも、デジタル化されたインテフェースも操作を複雑にしている一因であろう。かつてはそれぞれの操作にスイッチやボタンが対応し、押すだけで操作できていたものが今では一つの画面にほとんど全てが詰め込まれ、幾度かの操作を経ないと目的のボタンに辿り着けすらしない。私の家では先日電子レンジが壊れて買い換えたのだが、以前のものはボタン式であったのが新しいものでは画面式になっており、一回の操作で加熱を始められなくなってしまった。確かに機能がたくさんあるのは良いが、そもそも用途の95%が加熱である電子レンジにおいて、何回かの操作を経ないと肝心の加熱に辿り着かないのには不便さを感じている。
第二の原因は多機能な製品が無条件に優遇される傾向があるからだ。例えば家電量販店の家電売り場に行ってみたりする。同じ値段で機能の幅の異なる二つの製品が売られていた場合、多くの人がより機能の多い方を選ぶのではないか。そしてもちろん機能が多ければ多いほど私たちにとって扱いにくくなる。関数電卓は四則演算のみの電卓の機能を完全に兼ねている分便利ではあるが、仮に四則演算のみを実行する場合、関数電卓は操作性において劣っている。スマホのライトが懐中電灯には劣るように、ターゲットを絞っている製品の方が汎用性は下がる分、特定の機能においては勝ることとなる。そして機能が多くなるということは扱いに習熟するのが難しくなるということだ。私たちが製品を買う際に、ー使わない機能をわざわざ取りにいく必要はないのだ。しかし、多くの機能を有する製品が消費者に好まれたことで、そういった製品が市場により多く流通するようになり、結果として操作の全般的な複雑化にもつながっている。
確かに操作が複雑化するということは可能性が広がることにつながる。より高度で複雑な機能を機械に求めれば当然操作は複雑になる。しかし、使いやすさとは性能の良さではなく、人間にとっての扱いやすさによって決まる。飛ばし方のわからないヘリコプターよりも乗り方を熟知した自転車の方が結局のところ移動に便利である。第二次世界大戦期、ソ連のT34は実用性を追求し、性能が完璧ではないものの、その分安価で修理がしやすく大量に生産できるといった強みを抱えていた。そして消耗戦の中ではこの強みが存分に発揮され、大量に生産されてソ連の戦線を支えることになった。つまり、私たちは自身にとっての用途をよく考え、扱いきれない高性能の機械よりも、性能は劣るものの自身で十二分に扱うことのできる機械の方を重視するべきであると思う。