最後まで使うインド、すぐに捨てる日本
小5 ゆきのん(akiyura)
2026年6月2日
インドではほうぼう町角で自転車の修理屋を見かけた。修理し再生してとことん使っていく。しかし、日本では平気で乗り捨てられ、あまり大切にされていない。大量生産大量消費の国だ。現在の日本のような経済力に任せた浪費習慣は、良い影響を与えるとは考えにくい。 現代の日本人が奢っているのは確かなようである。
私は日本人でも、最後まで使っているものもある。例えば、カーディガンだ。穴が空いているデザインで、学校でその穴に名札の針を通していた。しかし、外すときに絡まってしまい、やむを得ずハサミで切ってしまった。私はもともとこのカーディガンは穴が空いているデザインなんだから、まあいいかと思って使っていた。しかし、まるで一口サイズのクッキーみたいな大きさに広がってしまった。そうなると流石に私も、少し変団と思ってきた。また、サロペットのズボンも、紐の片方が何故かちぎれてしまったが、祖母に直してもらってまた使おうと思っている。他にも、祖父から裏紙をもらって、計算用紙やメモ用紙にしている。何度でも直したものも、ちゃんと使えることができれば、元通り使えることができることがわかった。
反対に無駄にしてしまうこともある。例えば、ノートだ。学年が変わると私はノートを替えたいと思う。そのほうがスッキリするからだ。しかし、母は、もったいないから今までのものを引き続き使った方が良いと言っている。無駄にならないし、去年習ったことは同じノートに書いてあれば復習できるからだ。でも、私は替えないとなんだか気持ち悪い。だが、去年2,3ページしか使っていないノートは、さすがに変える気はなかった。だが、見開き8から10ページぐらい残っているノートは、すぐに変わるので、はじめから替えたいと思っている。また、算数の問題で、わからない場合は飛ばして解くことがある。その時に予想よりあまり使わなくて余ることがある。また解いた問題を移すのも時間の無駄で、問題の順番が変わるのも嫌なので、仕方がないと思っている。スペースがない方が困るので我慢しようと思った。母の考え方は「インドではほうぼうの町角で」という文の「とことん使い切る」というところに似ていると思った。
世界には使いたいものがあっても使えない人がいる。また、無駄にすると地球や環境にも良くない。だから、使用できるものはギリギリまで使用していきたいと思った。ノートの残ったページは、復讐のときや、計算に使っていきたいと思った。わざわざノートを取り出すことが面倒であれば、切ってまとめておくと良いと思った。