想像力を育てる心のスペース

   小6 あきうい(akiui)  2026年6月2日

 闘志は表面に出さず、うちに秘めておくもの、これが私の美意識だ。人生という車にも、この「余裕」「暇」という遊びがないと危険だ。想像力は心に必要な遊びです。想像がさらに深まれば、「思いやり」となって、人間関係を想像する。

「才能の原石やん。」

 私のクラスで一番頭がいい人はダントツに飛び抜けている。普通の人はそに人は塾に通っているのかなと思うだろう。しかし、塾に通っていない。私はクラス内で頭の良さは中の上くらいだ。その子は、家でも宿題くらいしかしていないらしい。私は八十五点から九十点くらいしか取れないが、その子は九十八点から百点の間ばかり取っている。点を逃すときは、kgなどの単位を書き忘れていることばかりだ。そして、彼女は運動も良くできる。文武両道だ。五十メートル走は、六年間トップで最近は買ったものでは七秒台だった。私は九秒強だったのに。まるで才能の塊だ。そして、ノリもいい。

「おにごしよー。」

って誰が誘っても、

「おにごしたい人集まれー」

と大きな声で学年関係なく遊んでいる。休みの日になんの前置きもなく誘いに行っても

「じゃ、遊ぶか!」

といつも遊んでくれる。なぜそんなに成績がいいのか気になった。私は、彼女の授業中の態度を観察してみた。彼女は授業を集中して聞いていた。そして、わからないと感じたら、「先生、もう一回説明してください。」とわかるまで聞いている。知らぬは一生のはじということわざが頭によぎっていた。彼女はわかるまで終わりたくないという知識的好奇心やそれを聞くことができる素直さを兼ね備えている。

 私のクラスには毎日塾に四時間通っている人がいる。その人は私とテストの点数があまり変わらない。毎日「塾めんどい。」と言っている。自分で行きたいと言ったわけではなくて、親がいい中学校に行かせたいからと半強制的に通わせているらしい。鬼ごっこしようと誘うまでぼうっとしている。

「今週の日曜日遊べる?」

と聞くと

「その日、勉強しないとだから。」

と断られる。彼女にはいつも心に少し余裕がないような気がする。義務感だけに縛られると、心の中の「遊び」が消えてしまうのだろう。

 私は塾に入っていない。自分でどんな勉強をしようかなと考える時間が好きだからだ。しかし、全国学力調査テストなどの大きなテストでは焦って余裕がなくなってしまうことがある。その時は訳もわからずイライラしている。そんな時は、何でもかんでも手をつけて勉強せず、わからないところとわかるところに分けてわからないところを勉強するようにしている。

 人間にとって余裕とは、頭の成長に直結している。私も余裕を持っていることで、リーダーシップを身につけたいと考えている。将来、余裕があるといいなと思いを走らせる。