偏見を捨てた自分らしい意見の創造

    ()  年月日

 物事を判断したり、それを味わったりするときには、その予備知識や固定概念がかえって邪魔になることがある。だから、まず見ること、それに触れること、体験すること、そしてそこから得る直観を大事にすること、それが大切なのだ。そう語っているのは、「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」という言葉だ。実際にものを見たり接したりするときには、これまでの知識をいったん横へ置いておき、そして裸の心で自然にまた無心にそのものと接し、そこから受けた直観を大切にし、その後で改めて、横に置いておいた知識を再び引き戻してそれと照らし合わせること、それが重要になってくる。また、自分の感じた「絶対」に安易に寄りかかってしまうと人間は単なる独断と偏見におちいってしまう。仕事の面接で「学歴」によって合否が決まってしまうこと。障害者、高齢者だから働けないだろうと区別されてしまうこと。これらはすべて、私たち人間が知らぬ間に人間のイメージ「レッテル」を貼り付けてしまっている。しかもその行為が「無意識」になってしまっており、アンコンシャスバイアス、つまり無意識の思い込み、偏見の深刻化が進んでいる。周りに影響されず、常に多角的な視点で物事を見るということは、初めて自分を囲む世界の広さを知り、自分の足でどこへ向かうかを決めることができる。私は、自分の新鮮な直感を大切にし、偏見や思い込みに振り回されないようにすることが大切だと考える。

 理由は、第一に、勝手な思い込みのせいで、相手の本当の姿を見落としてしまうからだ。「先生ガチャ」という言葉がこの世には存在する。しかし、先生に当たりやハズレはない。そう実感したのは、小学校四年生の時だ。四年生になると三年生とは違う担任に変わる。異動してきた先生が私のクラスの担任になった。その先生は、いかにもいかつい顔をしていて、クラスの皆の先生のイメージは、満場一致で「怖い先生」だった。ある日私は、体調が優れず、机にもたれ掛かっていたとき、先生がいつもとは全く違う優しい声色と表情で「大丈夫?無理しないでね。」と私に話しかけてくれた。そこで私は少し先生に申し訳ない気持ちになった。先生の「本当の優しさ」に気づけたのかもしれない。偏見や思い込みは、本当の人の優しさを気づきたいときの障壁となってしまう。皆さんには、イメージと現実は必ずしも一致しないということを頭に入れておいてほしい。

 第二の理由は、人にレッテルを貼ってしまうと、自分の世界が狭くなり、友達を作るチャンスを潰してしまうからだ。現代人は、わずかな待ち時間にもスマートフォンを取り出し、常に周りの意見をインプットし続けている。インターネットでどの記事を見るかは、自由だが、私たちは、都合のいいものばかり見たり関わったりする。私は学校に地味で静かそうな子が転校してきたときに先入観で相手を判断してしまった。私は、明るく陽気な性分で「自分に合わなそう」なその子とは、あまり話そうとしなかったが、席替えで席が隣になると、その子との関係に変化が起きた。席替えをした当初は、気まずい雰囲気が続いたこともあったが、だんだんとよく話せるようになり、親近感が湧いてきた。そして、合わないと思っていたその子との会話の中で同じ趣味があるということを知り、また、その子と過ごしていると楽しく、明るい気持ちになれた。人生に「偏見」にとらわれないようにするということは、良い人間関係を築くための大切な指針になるのだ。

 確かに今まで自分が感じた第一印象を大切にしたり、周りに同調したりすることは、、集団意識の高い日本に暮らすにあたって摩擦を減らし、人間関係を円滑に出来るという意見もあるため、否定はできない。しかし、世の中では、インターネットで自分が共感できる意見が即座に見つかる時代だ。だからこそ、知らぬ間に偏見や思い込みの沼に簡単にはまってしまい、抜け出せなくなる。ここで思い起こされるのが、「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈してきた。しかし大切なのは、解釈することだけではなく、変革することである。」という名言だ。この言葉が示すように、自分自身がこのアンコンシャスバイアス=無意識の思い込みや偏見を変革させようとすることが今後のデジタル社会で生きるあたって、非常に重要になってくる。私は、自分自身の意見と周りの意見、これらを少しずつインプットし、そこからまた、新しい考え方を導きだすことが肝要だと考える。悪いのは、偏見、思い込みを自分の意見に反映させることではない。安易に周りに同調し、脳の省エネ「ヒュートリステック」をしてしまうことである。つまり、自分にとって不都合な出来事に直面した時に、自分で考えようとせず、他人によって考えられた意見をそのまま自分のものにしてしまうことだ。私は今後、純粋な心で体験を積み重ね、そこから得た自分の直感を原動力にして、張り付いてしまったレッテルを剝がしとり、偏見にとらわれない自分らしい意見を創り続けていきたい。