時間
高2 あえたき(aetaki)
2026年5月4日
時とは本来「もの」である。目で見て、耳で聞き、触ることのできるものである。時とは単なる座標ではなく、その場に広がる空間であり、時間は決して一つではない。だが、現代の時間を単なる座標として捉えている社会は問題である。
まず原因として第一に、効率化を求めてあらゆることを詰め込むようになったからだろう。私たちが生きる現代社会は、一日二十四時間と決められた区切りの中で生きている。その限られた時間の中にさまざまな、「やらなければならないこと」が詰め込まれている。特に、時間のことを意識するようになったのは、小学生になってからだろうか。保育園では、友達と遊んで、お昼ご飯を食べて、お昼寝をして、また遊ぶ、そんな感じの毎日だった。しかし小学生になった途端、何時から何時までは一時間目、次は二時間目、その次は三時間目…。と突然時間によって私たちの行動が制限され始め、そこでさまざまなことを学ばなければならなくなった。そして、時間を経て私たちは限られた時間にさまざまなことを詰め込まれるのを受け入れ、そして自らで時間を区切るようになった。私は、自らで時間による課題を設定しておきながら、時間に追われて次第に自分が時間に管理される側になってしまう、なんてこともあった。いかに対応するか、どうやって時間をうまく使うかそんなことばかり考えて、目の前のことに集中できないのだ。限られた時間にあらゆることを詰め込まれたことに慣れることは時間を単なる座標として捉える社会に影響を与えるだろう。
第二の原因として、産業革命による労働形態の変化が挙げられる。18世紀ごろイギリスで始まった産業革命は社会にあらゆる影響をもたらした。手で作られていたものが機械によって大量生産されるようになり、蒸気機関などが交通にも応用されるようになったことで、鉄道や蒸気船が発展し人々の移動方法も大きく変化した。また、時間の区切り方と人々の働き方も大きく変化した。それまでは朝太陽が登ってから、陽が沈むまで農作業をするという働き方だった。しかし、そんな季節によって働く時間も内容も変わるような働き方は機械製工業となった社会では許されなかった。それぞれがバラバラに工場に出勤し、バラバラの作業をバラバラの時間にしてしまったら商品の生産が滞り、大量生産ができなくなってしまう。生産を最大化し、大量に作るために、人々は時間を区切り、そして、決められた時間で行動するようになった。このような流れは次第に社会に浸透し、時間を区切って行動することが当たり前になった。このような産業革命による労働形態の変化は時間を単なる座標と捉えるようになった社会の原因の一つと言えるだろう。
確かに、定められた時間に行動することは現代社会では生産の最大化などさまざまな利益を私たちに与えてくれる。しかし、「時間とは単なる点ではなく、私たちが過ごしたと感じる感覚と記憶である」という名言のように、私たちが、過ごす今の時間も人間による区切り方をしただけである。私たち自身が生きたと感じる感覚と記憶こそが時であり、単なる点ではなく、私たちが過ごした空間とともに存在するものである。時間を点と捉えるのをやめ、三次元に広がる空間であると捉えることでもっと充実感を持って生活できるのではないだろうか。時間を単なる座標と捉える社会は問題である。