先日、日本産トキの(感)

   小6 あきらほ(akiraho)  2026年6月3日

 人間の良識とはその数が激減している動植物に対し早急に保護の手を差し伸べることだ。しかし絶滅寸前まで放置した後で救済努力を傾注することには矛盾を感じる。

戦争を挟み戦後は自然保護と経済発展のはざまで揺れ動き必ずしもその機能を果たしていないのが実情である。アメリカが自然保護先進国になった一因として他国より早く自然を破壊していたとも考えられる。飼育観察ができる東京にささやかな幸せを感じる経験だった。

 私が四年生の時、家の近くの森でカブトムシを父と一緒に捕まえにいったことがあった。特に心が躍ったことは夜、緑地公園でカブトムシを探していると、オスと、メスの黒光りしたカブトムシが二匹電灯に止まっていたことだ。なぜ嬉しかったかというと、体の色が黒光りしているカブトムシは幼虫の時に豊富に栄養を含んでいる土をたくさん食べていないと体の色が黒光りせず、かなり珍しいカブトムシだからだ。私はこの美しく光るカブトムシが好きで、更に二匹偶然発見したことで父とともに飛び跳ねながら喜んだ。しかしながらいざ家で飼育するとカブトムシは夜は羽音がうるさく、睡眠の邪魔をされることや、ケースを緩く締めたせいで夜中に脱走したりしてしまっていたこともあり、まるで世話の焼ける小さな弟のような存在に感じた。だが、カブトムシをじっくり観察して絵をかいたり、触ってみたりすると、図鑑の中ではなく実物の昆虫の生体に触れることができとても興味深かった。去年の夏、カブトムシを取りに父と一緒に訪れたが、連日にわたってカブトムシを探したが、一向に見つからなかった。カブトムシの数が激減した理由として考えられるのは、カブトムシを探しに行ったとき、夜中にもかかわらず昆虫を採集しているらしき人が多くいたことではないだろうかと考える。おそらくカブトムシを含む昆虫の取りすぎが有力ではないかと推察される。私は自然を守ることは、自然のものを取らないことが最良の手だと思うが、しかし自然に親しみたい人が、気軽に自然を感じられなくなるというのは、あまりにも寂しい限りだと思う。だから市の方で入場制限をするといった対策をとることが好ましいのではないだろうかと考える。

 先日、下校中に、友達が不意に「地球温暖化と、長年の化学的な農薬の多用で、はちの数が減り、人間の食糧問題に影響を及ぼすんだって。」と真剣な顔で話しかけてきた。なぜそのようなことにまで発展するのかと問うと、友達が言うには、はちがいなくなると植物を受粉させることを担う生き物がいなくなり、人間が食べる農作物は、壊滅的な被害を受け、野菜、果物、コーヒー、カカオなどが採れなくなるという話だった。そしてこの傾向は年々悪化しており、この現状を打破できていないと言う事だった。私はこの話を聞いて、普段気にも留めていなかった昆虫が、実は重要な役割を果たしていたと言う事が分かった。そしてこの問題を世間に広めることで、はちの重要性を広く知ってもらいこの問題を改善していきたいと思った。

 人間にとって自然とは必要不可欠な存在だ。そして自然と、人間の関係は、まるで天秤のようなものだと思う。何故なら自然が偏りすぎると、私たちの暮らしが不便になり、経済の発展が遅れてしまうという問題が出てくる。逆に自然の破壊が進むと、動植物の生態系が崩れ、何千年にわたってきた種の歴史がとだえてしまう。だから、人間が生きていく中で、どちらにも傾いてはいけないバランスがあるのだと思う。自然を残していくために、私は自然を壊す恐れのあるものに関心を持ち、本を読み、知識を深め、自然の大切さを身近な人たちに伝えれるようになりたい。