百年以上の家具を

   中2 あさくに(asakuni)  2026年6月2日

 要約:イギリス、中国、日本など様々な「代々家にある家具」は存在する。無垢の天然木は荒っぽく扱っても壊れず、もし破損したとしても修理したらまた使えるのだ。長年多種多様な人々が利用し続けているのに、ますます趣が深まるのが魅力だ。この素晴らしい天然木と対照的に、近年の生活の必需品はどんどんもろくなっている。今後若者が薄っぺらな合板を使い続けたら、どんどん彼らの関心がそのようなもろい工業製品に向いてしまうだろう。そのような現象の末路は全世界が刹那主義に染まるという悲劇である。このような悪夢を回避するためにも天然木を使う価値はあるのである。その迫力、温かさ、柔らかさ、寛容さ、やさしさは経済面の効果はないものの人間の意識への影響は計り知れない。この波乱万丈の21世紀にこそ天然木は重要であり、必要なのだ。

まず最初に古いものは無駄なものが削られているのが素晴らしい。裏を返せば年月が不要なものを削ってくれるからだ。私の感想としては30年ほど前の方が批判の波が和やかであり、最適な物を最適な期間で作ることができたと思う。しかしながら、2020年代に突入して以来ネット上の誹謗中傷が過激化し、大いに問題となっている。まるでモグラたたきゲームかのように、個人個人が不快と感じたことを瞬時にオンライン上で公言し、情報が拡散するのを待つ。十分な人数が揃うと皆でそのモグラとそのボス、企業・団体、を叩きに行くのだ。この現象が普通になってくるにつれ、どんどん消費者へのサービスが万人受けされるようになるのと代償に、企業の挑戦と改革が妨げられているように思える。DNAの投手、藤波慎太郎選手の暴投を恐れ、打者がへっぴり腰になるように、すべてのモグラがいろんなところではなく、プレーヤーの一番叩きやすいところのみ出現するようになってしまったのだ。だが、攻撃が比較的和やかだった一昔前は「これはあかんやろ」と思われるもののみ対処されたので、「ちょっとクセがあるがセーフ」というものも生存していたのだ。このような緩やかな変化がなぜか落ち着く場所へと進化していくのではないか。よくフィクション作品に出てくる落ち着く喫茶店などが代表例だ。皆に突き刺さる棘のみを取った薔薇が最終的に一番重宝され、愛されるのである。

だが、新しいものにもリスクがとれるというチャンスがある。生物学でも経営学でも当たり前になってきていることだが、リスクやピンチは実はマイナスなことではなく、解釈次第では大いにプラスになるのだ。そしてこの大砲は古いものにはもう撤去されており、唯一生存しているのはふっくらほやほやの新しい概念、物のみなのだ。なので自分の人生を今よりもっと充実させたい、大きくしたい、と思う方々は自分の人生を棒に振る可能性もある大砲を己の手で使い、地獄に落ちるか頂点に行くかの50-50の瀬戸際で運命と対峙するのだ。そこで自爆するかしないかは実力と運がかかっており、この一種のギャンブルをするのは挑戦者たちだ。どの業界にもいるパイオニアたちは前人未到の新世界に一歩踏みだそうと、さまざまな大砲やら爆弾やらを使い、人生をかけながら戦っている。そのほんの一握りの人々が山の頂点に立ち、メディアや平民のスポットライトを浴びるのだが、彼らはほんの氷山の一角だということを忘れないでほしい。先程「業界」などという一種の差別用語のようなタームを使ってしまったが、20世紀日本芸術界の巨匠である岡本太郎がいうように全人類が自分の人生を何かにかけていないといけないのだ。何かを賭けるということは他人の人生の観客を卒業し、自分の人生のメインプレーヤーになることである。この原理を忘れてしまっているのが今の日本社会だと思う。なぜなら「失われた30年」でも代表される通り、革新的な発明や新たな業界が生まれていないからだ。全ての勢力は既存の概念の強化に割り当て、リスクをとらなかったのだ。米国には「ノーリスク・ノーゲイン」という諺があるように、リスクをとることを推進しており、全面的に肯定してくれる。これによって今の経済大国が生まれたのかもしれないと思うほど、アメリカに住んでいる人々はこの哲学を骨身にしみており、全力で体現している。この構成要素が欠けていることにより、日本人の挑戦心が損なわれてしまったのかもしれない。

確かに古いものには無駄や害がなく、新しいものには変化とリスクのお得セットが付いてくるが、一番重要なのは全商品が人々に考える余地を与え、進歩する材料を与えてくれる所ではないだろうか。もちろん私たち使用者、消費者は社会のすべてのものに影響力を持っているといっても過言ではない。スマホを開けばSNSを通して全世界に何でも公言でき、株を買えば、その会社に多少の影響力は持てる。このような時代、日本からではなくても様々な国から新しい発明が生まれている。この発明に酔いしれる時があろうとも、人間いつかは飽きるのである。たとえ飽きなくても、今のAI事情のようにこれからの進路を再検討する余地が与えられる。一見行き詰ったと思っても、また新たな改革者が別のものを作ってくれる。それは赤の他人かもしれないし、あなたかもしれない。スティーブジョブスが過去に「安全ほど危険なものはない」というように、人類の敵は「現状維持」なのかもしれない。全てのものがつまらなく、普遍的な伝統文化が息づいている物のみになり、新たな分野が産声を上げない。人類史という祭りを盛り上げるためにも人々は考え、新たなものをどんどん紹介していかないといけないと思うばかりである。