比喩の大切さ

   中2 あさくさ(asakusa)  2026年6月3日

 

一枚の写真に、この詩の言葉が添えられている。そこには、子供が紙風船で遊んでいる様子が写し出されている。紙風船は、手で叩いて遊んでいると、しぼんで地面に落ちてしまう。しかし、完全に壊れてしまうゴム風船とは違い、紙風船はたとえ落ちてしぼんでも、もう一度息を吹き込めば何度でも膨らみ、再び高く打ち上げることができる。詩の中では、その様子が人間の「美しい願い事」や夢の比喩として用いられている。この特徴こそが、人間の心や生き方を表す優れた比喩である。人生において、願いが叶わずに挫折し、落ち込む瞬間は誰にでもある。しかし、そのたびに諦めるのではなく、自分の意志でもう一度希望を膨らませ、前を向いて何度でも挑戦することの大切さを、この詩の言葉は教えてくれる。私たちは落ちてきた風船を再び高く打ち上げるように、失敗を恐れず理想を追い求める強さを持つべきだと表現されている。だから僕は、比喩は大切なものだと思う。

僕は、比喩を大切だと思う理由が二つある。まず一つ目は、比喩を使うとも伝えたいことを伝えやすくなるという点がある。例えば、僕が長距離の練習で「足の裏のどこで接地すればいいか」を悩んでいたときのことだ。先生から「骨盤の下に重心を置いて、地面からの反発力を最大にして」と言われたけれど、頭の中がハテナだらけになってうまく走れなかった。でも、先輩から「地面をポンポンと弾むバウンスボールになったつもりで走ってごらん」と言われたら、一瞬でコツが掴めてきれいに走れるようになった。比喩は、言葉の意味を分かりやすくして、相手に伝えるためにすごく便利な物だと思う。

二つ目の理由は、比喩を使わないで説明しようとすると、話の内容を伝えるのに時間がかかりすぎるからだ。走るときの感覚を一から全部データや難しい専門用語だけで説明しようとすると、言葉が多くなりすぎて結局何が言いたいのか分からなくなってしまう。さっきの接地方法の例に戻るけれど、もし先輩がバウンスボールの例えを使わずに、足首の角度や筋肉の使い方の知識だけを長々と話していたら、僕は走る感覚を掴むまでに何日も時間を無駄にしていたと思う。実際に走っているときの感覚をその場でパッと理解して次に活かすためには、長々とした説明をカットしてくれる比喩の存在が絶対に必要だと実感した。

確かに、比喩は人によって受け取り方が違ったりすることもあるから、仕事の連絡やデータの中身を伝えるときには、比喩を避けて事実だけを正確に言った方がいいという意見もある。だけど、人間が新しいことを理解したり、自分の頭でイメージを膨らませたりするためには、やっぱり比喩がないと始まらないと思う。古代ギリシャの哲学者アリストテレスの名言に、「比喩が上手いということは、物事の同じところを見抜く優れた能力があるということだ」という言葉がある。リスクがあるからといって比喩を全部なくしてしまったら、僕たちの普段の会話はただの数字や記号の羅列になってしまって、人間らしい分かりやすい対話や、本当に心が伝わるコミュニケーションはできなくなってしまうと思う。