自然の美と人工的な美
高1 のんの(aohita)
2026年6月4日
筆者は、美とは本来、自然が生み出したものに備わる性質であり、人間が存在する以前から存在していたものだと述べている。自然の美は、美醜の対立を超えた究極の美であるのに対し、人間が作り出す芸術は欲望や個性の影響を受けるため、相対的な美にとどまりやすい。また、近代美術は人間の才能や個性を重視するあまり、自然が持つ本質的な美から離れてしまったと主張している。僕は、この考えに共感し、自然がもともと持つ美にもっと目を向けるべきだと思う。
第一の方法として、自然とふれあう機会を積極的にもつことが挙げられる。現代では、スマートフォンやゲームに触れる時間が増え、自然をじっくり観察する機会が少なくなっている。しかし、自然は特別な場所に行かなければ出会えないものではなく、身近な場所にも存在している。例えば、朝焼けや夕焼けの空、道端に咲く花、公園の木々などである。
僕も学校へ向かう途中に空を見上げると、雲の形や光の色の変化に美しさを感じることがある。また、雨上がりの葉についた水滴が太陽の光を受けて輝く様子や、季節ごとに変化する木々の色を見ると、自然には人間が簡単には作り出せない魅力があると実感する。しかし、そのような景色も意識して見なければ見過ごしてしまうことが多い。忙しい日々の中でも少し立ち止まり、空を見上げたり木々の様子を観察したりすることで、自然の持つ美しさを感じ取ることができるはずである。このように自然を意識して観察することで、本来の美に気づくことができると思う。そして、自然の美を感じる経験を積み重ねることで、心に余裕が生まれ、物事をより広い視点から捉えられるようになるのではないだろうか。
第二の方法として、美に順位をつける考え方を見直すことが必要だと考える。僕たちは幼い頃からコンクールやコンテストなどで作品を競い合い、優劣を決めることに慣れている。しかし、美しさは本来、一つの基準だけで測れるものではない。自然界には「一番美しい花」や「一番美しい木」が存在するわけではなく、それぞれが独自の美しさを持っている。
ところが、人間はしばしば美を評価し、順位をつけようとする。学校の美術でも、結果だけを見るのではなく、作品に込められた思いや個性を大切にすることが必要だと思う。また、社会では外見の美しさばかりが注目される場面も少なくない。広告やSNSでは理想的な姿が示され、それと比較して自分や他人を評価してしまうこともある。しかし、そのような考え方では、本当の美しさを見失ってしまうのではないだろうか。自然の花が誰かと競争することなく咲いているように、人間もそれぞれ異なる魅力を持っている。美を単純な優劣で捉えるのではなく、多様な価値を認める姿勢を持つことが大切である。そのような考え方が広まれば、人々はもっと自由に自分らしさを表現できるようになるだろう。
確かに、人間が生み出した芸術作品には大きな価値があり、多くの人々に感動を与えてきた。しかし、それ以上に、僕たちは自然の中に最初から存在している美を見つめ直すべきではないだろうか。美とは競争によって決まるものではなく、それぞれの存在が持つ価値に気づくことで見えてくるものである。自然の美に目を向けることは、豊かな心を育てることにもつながる。だからこそ、僕は自然がもともと持つ美にもっと目を向けるべきだと思う。