ノンフィクションの書き手は(清書)

   中2 はななは(hananaha)  2026年6月4日

 ノンフィクションの書き手は、あるものを映そうとし、フィクションの書き手は、在らしめるために創ろうとする。他人というものはついに、理解することはできないのではないか、という苛立ちから抜け出せる。フィクションには限界があるのではないかという問いにまとわりついている霧が晴れてきた。限界があるのは当然ではないか、という地点に辿りつくのである。一方で、ノンフィクションの書き手にできることは、事実の断片を収集することでしかない。加賀己彦のいう「真実」とやらに到達することは不可能であり、事実の核といったものうぃ掘り出すこともできない。ノンフィクションとは、事実の断片による、事実に関する一つの仮説にすぎないのだ。

 フィクションのように創作をすることが大切なときがある。私は、ドラマの鑑賞などがとても好きだ。そのなかでも、今でももう一回見たいというものが二つある。一つ目は、2023年に放送された『真夏のシンデレラ』というドラマで、二つ目は、2023年に上映された『交換ウソ日記』という映画だ。どちらの作品も恋愛ものであり、フィクションである。この二つの作品以外にも好きなものはたくさんあるが、すべてフィクションだから成り立っていると言っても過言ではない。このような創作がなく、事実ばかりだと、現実には起こらないような「きゅんきゅん」するエピソードも書けなくなってしまう。フィクションを読んだり、見たりすることで、感動をもらうことができる。だから、フィクションで物語を作ることは絶対に必要だと思う。

 一方で、ノンフィクションで事実をありのままに伝えることは大切だと思う。例えば、『アンネの日記』がある。この本からは、「アンネフランク」が第二次世界大戦中、ナチスによるユダヤ人迫害を逃れるため、家族とともに隠れ家で過ごしており、13歳の誕生日にもらった日記帳に、それまでの日々を書き続けていたことが書かれてい^-@る。この本からは、普通の人の大切な日常も、戦争や差別によって簡単に奪われてしまうということ。さらに、だからこそ平和と人権を大切にしなければならない、ということが一人の少女の生活から伝わってくる。ノンフィクションでの利点は、伝えたいことが違う形で伝えられるというところだと思う。

 確かに、フィクションにもノンフィクションにもそれぞれの良さがある。しかし最も大切なのは、伝えたい目的に適しているものを使えるかということだ。「おとぎ話が真実なのは、竜がいると教えるからではない。竜を倒せると教えるからだ。」という、ニール・ゲイマンの名言があるように、事実を伝えるだけではなくても、生きる上で大切な事実を教えられることもある。どちらの方が良いということはなくて、それぞれの良さを、そのものへ適切に使えることが大切なのだろう。私は、フィクションとノンフィクション、どちらともの事実を自分の、大切なものにしていきたいと思う。