事実と創作

   中2 あえわた(aewata)  2026年6月4日

  ノンフィクションの書き手は、ある物を映そうとし、フィクションの書き手は、在らしめるために創ろうとする。ノンフィクションの文章は一定のルールがあるから、可能なことに限りがある。そのため、そこで大切になってくるのは何が可能、不可能なのかを見極めることである。また、そのライターは事実の断片を収集することしかできない。つまり、ノンフィクションの文というものは、事実の断片による、事実に関する一つの仮説に過ぎないのである。

 やはり、事実をありのままに伝えることは人間にとっても他のなんの物事であっても欠かせないことである。なぜなら、事実を正しく伝えなければ、話し手と聞き手の中で話や感情が食い違うことがあるからだ。自分の場合、サッカーをやっているのだが、友達に自分が得点した時の話をしていた時にそれが起こった。自分は、サッカーを6年ほど続けているのだが、自分はDF(守備専門のサッカーのポジション)やMF(コートの真ん中で味方にパスを供給するサッカーのポジション)をずっとやってきて、今もそのポジションでプレーしている。それらのポジションは、シュートを打って点を決めるというより、点を決める人のサポート役みたいなポジションで、自分はあまり点を決めたことがなかった。しかし、中学1年生の時に公式戦でゴールから遠く離れたところから、久しぶりに点を決めた。それが嬉しく、学校の友達に遠くから決めたということを自慢げに話していた。実際はペナルティーエリアの線の16.5mほどのところから決めたのだが、凄さを知ってもらいたくて次のように言ってしまった。まず、はじめハーフライン(ゴールから50m)くらいから決めたと周りに言っていたが、確信がなくなり、次はゴールとハーフラインの真ん中(ゴールから25m)から決めたといってしまい、ついにはペナルティーエリアの線(ゴールから16.5m)から決めたと友達に言ってしまった。そのせいか、遠くから決めたと思っている人と真ん中からの人と少し遠くから決めたと思っている人の3つに分かれてしまった。そして、自慢した人たちからどれが本当なんだといわれて、ちょっとした揉め合いになった経験がある。つまり、凄さではなく距離を明確に伝えないといけないような時には正しい数値を使い、事実に基づいて会話をするべきである。

 しかし、時と場合によっては多少の創作も必要な時がある。より事実の凄さや雰囲気を知ってもらうためには最適だからだ。前述したように、サッカーのシュートの距離の話で行くと、事実で正しい数値を使いながら説明をした方が良いのはもちろんだが、凄さや実際にその場に同席していないとわからないような曖昧なことは多少話を創作しないとしっかり伝わらないこともある。確かに、自分も友達がサッカーのシュートの距離の話をしてきたら、数値が大きければ大きいほど凄かったということは伝わるものだ。実際、僕も自慢をした時に、周りの人たちは、なんとなくすごいということは伝わったに違いない。データとして凄さを創作する1日の回数の平均は、男性が1日平均 1.57回、女性が 1.96回と、女性の方がやや頻度が高いというデータがある。どちらにせよ、1日に我々は2回ほど話を盛るということをしているわけであり、さらに多くしている場合もあるかもしれない。このようなことから、人の感情やその場に居合わせなかったことをより相手に伝わりやすく表現するためには、多少の創作が必要であると思った。

 確かに、真実をありのまま伝えるのはもちろん、時と場合によっては多少話を創作することも大切である。しかし、「カメラマンは、レンズのほこりを払う前に、目のほこりを払わなければならない。」という言葉もあるように、前述したような2つのことはどうであれ、まずは話をうまく相手に伝えることが大切で、方法は二の次である。