むしがいない
小6 ともとも(tomotomo)
2026年6月3日
六月三週
虫がいない
大瀧智仁
トキのように絶滅寸前まで追い込まれた動物や、その数を激減されている植物を救おうとする努力の姿は、「人間の良識」評価される。身近な動物の中の姿を見たことがまれになったのが少なくない。
ロスより自然破壊は悪い東京だが、都心でも植えこみや生けがけに毎年カマキリの卵が見られ、六、七月には網戸に張り付く子カマキリの姿が多い。
アメリカが自然保護で先進国となった一因として、他国より早く自然を破壊したことも考えられる。
「トノサマバッタがいた!」
2019年四月ごろ、僕は父と一緒に熊倉公園に来ていた。僕は熊倉公園でおんぶバッタやトノサマバッタなどをとっていた。そのころはバッタがたくさいて僕は一週間に二回ぐらいのペースで行っていた。僕は毎回バッタが取れて嬉しかった。僕は2022年に中国に行くことになって僕はバッタを取れなくなってしまった。中国の公園は芝生がなかった。芝生があっても人が多すぎて、虫は蚊しかいなかった。なので僕は熊倉公園みたいなところで虫を取りたいと思っていた。
2023年の春にまた熊倉公園に行くチャンスが来た。心待ちにして「いざ虫取り」と張り切っていたところ、虫の影すらなかった。草むらをかぎ分けて探したり調べたとおり足元をすり足で歩いてみたけれどバッタの影すらなかった。狐に摘まれるようだった。僕はなぜバッタがいなかったのか考えてみたところ、薬をまいていなくなたのかなと思った。僕は薬をまくともう虫は戻れなくなるからもう少しいい方法があるのじゃないかなと思った。
僕が日本で住んでいた栃木県の家はもともとりんご畑だったそうだ。僕はなぜりんご畑を家に変えてしまうのか気になったのでしらべてみた。
理由は2つある。
一つ目は、一般的に農地よりも宅地の方が市場価値が高く、売却しやすくなるからだ。特に高齢者だと農業を続けるのが難しく土地を売ったりするそうだ。僕は土地にして売るならば農業をしたい人に貸せば良いと思った。
二つ目は住宅街の便利さだ。
もともと畑だった場合は日当たりが良く周囲に高い建物がないので住環境として優れているそうだ。なお、住宅街の近くにある畑は駅から近かったり生活インフラ(スーパーや病院)が整っていたりすることが多く人気があり高く売れるからだそうだ。
自然とは人間にとって大きな教訓を与えたり人間にとって有利なことを与えてくれるものだ。
後悔先たたずといことわざがある。意味は終わってしまったことを後から悔やんでも、取り返しはつかないということだ。
筆者の言っていることも正しいが。人間は自分のことだけ考え動物を絶滅に導き、絶滅しかけると助けるという無駄にお金を使っているので僕は何かどうしてもという理由がないと動物や植物を駆除をしないといけないというルールをつく他方が良いと思う。
お肉など生活に必要なものな場合は人間が飼育をすれば良いと思う。
以上の理由で僕は動物や植物に対する考えを改めた方が良いと思う。