清書

    ()  年月日

 見テ 知リゾ 知リテ ナ見ゾ

見てから知るべきである、知ったのちに見ようとしなほうがいい、という意味でしょうが、実はもっと深い意味があるような気がする。

柳宗悦が戒めているのは、知識にがんじがらめにされてしまって自由で柔軟な感覚を失うな、ということでしょう。

たとえ、百万人の人が正反対のことを言っていたとしても、自分が感じたことは絶対なのです。

しかし、また、その絶対に安易に寄りかかってしまうと人間は単なる独断と偏見に陥ってしまう。

少なくとも柳宗悦の言葉は、私たちに「知」の危険性というものを教えてくれます。

知ることは非常に大事です。人生において役に立つからです。しかし、それが私たちに対して縛りを与えることもあります。

私の意見としては、人を縛ることは良くないことだとも思っています。これには、二つの理由があります。

まず一つ目は、人に難しい縛りをかすと反発や問題が起こるからです。

皆さん、最近自転車の法律が増えました。あれが追加されてから僕は自転車の運転に注意をより払うようになりました。

そして、その法律の中に、「手信号」という法律が増えました。これは曲がるときに右手をハンドルから離して車のウィンカーの代わりとして、

左右に曲がることを車などに伝えるのですが、これに対する不満がとても出ています。

理由としては、手信号がそもそもできないということがあります。僕も、危なそうで、やったことはないのですが、

おそらく、手信号をやると、重心が右側に傾いてしまい、倒れる可能性があります。

このように、難しい縛りをかすことに対する反発がうまれたり、またけがや事故の可能性があるからです。

二つ目は、いろいろなことを知ることで新しいものを生むことができないからです。

最近、オーストラリアで16歳以下の人がSNSが規制されるようになりました。僕だったら、耐えられないでしょう。

実際、多くの人が賛成しています。いじめや、非常に危険な動画やサイトにアクセスしてしまう可能性があるからです。

しかし、僕だったら反対します。独創的な感性を奪ってしまうと考えているからです。また、遠方などの友達と会話できない可能性があります。

近い友達と話せないことは、非常に良くないことだと思います。やはり、遠方の友達と話すことで、いろんなことを知ることができると思います。

また、たとえ遠方の友達がいなくても、SNSなどを使えば、この世界の情報を知ることができます。外国のことや、珍しいことなど。

そして、絵を見たり、音楽なども聴くことになると思います。今、世界にはたくさんの絵や音楽があります。

それによって、インスピレーションを受けることで、新しい作品が生まれることがあります。そのような機会を奪ってしまうことは良くないことだと思います。

このように、いろいろなことを知ることで、生まれる新しいものが生まれないことが良くないことだと思うからです。

私は縛ることをよくないと思っています。もちろん、法律などと人を守るものあるように縛ることでよいことがあることも知っています。

しかし、「諸刃の剣」ということわざがあるように、人を守ろうとすることで、逆に人を傷つけてしまったり、創造する力を奪ってしまったりします。

だから、私は縛ることをよくないと思います。縛ることと緩めることはちょうどよいバランスである必要があるのです。