百年以上家具を (清書)

   中2 すりりんご(akimano)  2026年6月4日

 百年以上家具を使ったという例は別にめずらしくはない。使い方さえ間違わなければ、家具にとって百年というのは短い時間といえる。またかなり荒っぽく使っても簡単に壊れはしない。それに比べたら、車や家電製品はほとんどが十年以内の寿命である。無垢の天然木を使って質の高い家具を百年使うとなれば、それは事や家電製品の何倍も安く、かつ生活を快適にする効果があることがわかる。経済面から考えた効果は実のところ、「百年使う家具」のもっとも重要な要素ではない。無垢の木でできた質の高い、テーブルや書棚を生活の中に入れてみると、人間の意識が変わる。薄っぺらな合板と無垢の天然木の存在感は違う。本物の木を使った、本物の造り方をした家具は、本物の人間を育てるようになる。本物の木の家具と永く付き合おうと思うと必然的に二十一世紀が問題となる。「子供や後輩をどう育てるか」が「二十一世紀をどう育てるか」に結局、結び付く。二十一世紀を担う人間たちの基礎をどう造るかは大切な問題であり、むつかしい問題でもある。木の生命力を人間が感じ取るだけでも意味があることだ。木の生き方こそ、二十一世紀という環境の世紀のためにもわれわれ人間がまなぶべきものであろう。

 長い歴史が刻まれた古いものには温かみを感じる。私の中学校は、築八十年以上もの校舎だ。職員室のドアや、主に技能教科を学ぶ特別教室はほとんどが木の扉で出来ている。五つある階段のうち、三つも木である。その階段を踏むとギシギシという音がし、床を踏むときしきしというまるで木と木が会話をしているような音が鳴る。階段の手すりは石とコンクリートで出来ている。小学校は手すりが木でできていたから入学当初は大変驚いた。おそらく、階段の手すりが校舎の柱の役目をしているのだろう。このような中学校と比べて、小学校は、私が二年生の時に再建されたもので、築六年の校舎である。その校舎は外見からも、コンクリートでできているように、中も、床だけが木で残りはすべて、白や灰色のコンクリートで固められていた。教室は、殺風景で窮屈で周りの空気が良くなかった。何よりも、温かみがないことが苦痛であった。今の中学校は、少子高齢化と、校舎の老朽化により、三年後には近くの学校と統合して、新しい中学校校舎へと生まれ変わる。次の校舎も木に囲まれた温かみのある学校であったら良いが、現代の学校にするには、コンクリートになってしまう可能性が高い。そのために、今の木に囲まれた、温かみのある校舎での生活を大切にしていきたい。

 しかし、新しいものにも良さがあろう。日常生活になくてはならないものがインターネットである。近年ではアプリも増加している。2020年にコロナウイルス感染症が世界規模で広がった。マスクの着用や外出の縮小など、感染を少しでも防ぐための取り組みが全国各地で広がった。そこで話題となったものが、インターネットを活用した、自業務である。テレワークなどというものだ。ドリーム・アーツのデータによると、コロナウイルス感染拡大をきっかけにテレワークを導入した企業が25%、緊急事態宣言を受け、導入した企業が20%という結果がある。以前からテレワークを導入している企業を合わせると、全体の84%の企業がテレワークを導入した事業に変えたということになる。そうしたことで、自宅での業務が可能となったことでコロナウイルス感染症の流行がおさまった現在でも、育児や介護などでも活用できるようになった。そうすることで、オフィスワークではできなかったことができるようになったことで日々の生活が快適になった。

 確かに、古いものにも新しいものにもそれぞれ良さがある。しかし、大切なのは健康らしい外見ではなく、健康自身であるという名言があるように、ものの持つ本当のよさを見ることを養うべきである。私は、中学校生活になり、小学校の窮屈さがなくなった。一方、小学校にはあったエレベーターがなくなったことで移動が大変になった。新しいと古いにはメリットとデメリットがつきものだ。だから、それぞれのものにはそれぞれなりの持つ良さが必ずある。