知識と現実の正しさ(20260617清書)
小5 ゆきのん(akiyura)
2026年6月4日
コオロギはリーリーと鳴くというが、リーリーと聞こえるのは人間の耳だけで、コオロギにはどのように聞こえているのか。コオロギと人間で耳の構造は全く違うので、同じように聞こえている保証はない。そう考えると同じ人間でも個人個人少し違う音を聞いているのかもしれない。現実の見え方やそれに対する感じ方を変えてしまうものは知識や習慣だ。虫の声を楽しむという習慣が、日本人の耳を少しずつ変化させてきたのだとも言える。
同じ人間でも全く同じ耳ではないので、それぞれで少し違う音を聞いているかもしれない。それと似ていて、全く等しい味覚を持っていないので、各自違う味を感じている可能性がある。私はそのことを柏餅やあんパンを食べているときの「あんこ」を通して感じた。私ははっきり言ってあんこが好きではない。甘すぎるからだ。しかし、私以外の家族は好きだ。しかも、甘いからだ。このように、同じあんこで、好き、嫌 いの理由は「甘さ」で一致しているが、私は好きな範囲を超えている。だが、私以外の家族はちょうどよい甘さだ。同一の甘さだが、人によって好みの甘さが違うことがわかった。好きな人には悪いが、私にとってあんことは、まるで地獄みたいだと思った。
知識は現実の見え方を変えてしまう力を持っている。例えば、地球平面説と地球球体説だ。地球平面説は、昔の人はおそらく、「地球が丸いと立つことができない。だから、地球は平面である。」と考えたのだろう。しかし、現実では地球は球体で、地球平面説が正しいのだ。球体なのに立つことができるわけは、おそらく地球は大きいので、カーブはとても緩やかだと考えたからだ。「地球が丸いと立つことができない」という知識が、現実と違う地球平面説を生み出してしまったのだと思った。地球平面説の、「丸いと立つことができない」ということも納得できるが、カーブが平面だと感じるほど緩やかだと、立つことができるかもしれないという考えを頭に入れていたら、最初から地球球体説を思いついていたとも考えられる。
同じ人間でも色々な考え方や感じ方があることがわかった。コオロギは昔から日本にいる虫だが、アオマツムシは外国から来た虫だ。その知識がコオロギの声は美しいが、アオマツムシの声はただの騒音に感じてしまう。だが、床に落ちたステーキをそのままお皿に乗せて出されても、平気で食べてしまうことだろう。知識は現実や感じ方を変えてしまうということは、言葉だけで聞くと一見分かりづらいが、これらの例を聞くとわかりやすいものになると感じた。十人十色の考え方が人間の良さだと思ったので、大切にしていきたいと思った。