宇宙の中で人類と自然の共生

   小6 あきひろ(asiguru)  2026年6月4日

  トキのように絶滅寸前にまで追いこまれた動物や、その数を激減させている植物を救おうと努力する姿は、「人間の良識」と評される。その通りと思う半面、偽善ではとのむなしい思いが残る。なぜなら絶滅が確実視されるまで放置しておいたあと、救済努力に傾注するということが多く起こっているからだ。ここにも大きな矛盾が生まれてくる。身近な動物の中にも、姿を見ることがまれになったものが少なくない。アメリカが自然保護で先進国になった一因として、他国より早く自然を破壊したことも考えられる。

 筆者がいう通り自然をなくして今の日本、世界にしたのは人間だと考える。その人間の悪い功績をぼくの身近から探すと「タイワンリス」という動物の名前が頭をよぎる。

「タイワンリス」は一見かわいくて人間に親しいといったイメージを持つかもしれません。そのイメージ通り、顔はかわいくて実をほおばっている姿もかわいらしく、誰もが憎むことができない動物だ。その一方でとてもいたずら好きでもあり、そのいたずらが度が過ぎてしまい世の中の人間から「最悪なリスだ」「自分の国に帰れ」などと言われてしまう。ですがよく考えてみると、この状況を作ったのは人間なのではないのでしょうか?日本は明治時代後期から現在にかけてものすごい変化を成し遂げた。その変化の影響で森林にも被害が及んだりした。昭和時代には白神山地のヤブ林の一部を伐採し県道を作ろうとした計画がでたりして、自然がなくなってしまいタイワンリスが野生化してしまい食べられるものがなくなり電線ら電話線が食べられてしまったりし人間が批判しているという状態だ。この状況を学校で作ったら人を煽るのが好きな男子たちが

「それってあなたが始めた物語ですよね?」

と煽られてまうで~と爆笑した。

 タイワンリスとクマは同類である。なぜなら餌を求めて人里に降りてくるという欠点があるからだ。クマと言えば先日、メディアの皆さんが大騒ぎしていたような・・・?ぼくの母の実家の近くにクマがあらわれていたのだ、ぼくはラジオを聞いていた時「開いた口が開かない」状態になってしまった。追加にいとこが通う山形大学の寮の百メートル先をクマが通って行ったそうだ。そのいとこは、

「もういやだ~引越ししたい」

と半泣きで電話をかけてきたらしい。栃木でも山形でもクマは駆除されなかった。ですがこれをほめている団体がある「全学連」だ。この団体は、クマを駆除するな‼クマがかわいそうだ‼と言っていた。これもぼくら人間が始めた物語である。なぜなら人間が工業を発達させ、木をからしたり、木のみを食べられなくしてしまったためやむを得ず人里に降りているわけで「全学連」は自分たちの仲間である人類を批判しているだけだと思う。

人間は自然に感謝しないといけないなぜならは、「人類の祖先」ではなく「自然の祖先」と動物の祖先は皆同じで自然とプランクトンで、神様は人類に自然と動物は共生することが大切だと考えていることが推測できる。「人間の祖先」ではなく「自然の祖先」は、プランクトンという目に見えない存在であることが分かる。人間はプランクトンが進化して枝分かれした結果、人間は猿を経由して人間は共通してプランクトンの子孫で猿の進化系が人間なのである。プランクトンのような目に見えないものが人間を救っていることが考えられる。「身に見えなくて大事な存在はなんでしょう?」と質問されたら「酸素」や「空気」などで出るでしょう確かに空気も酸素は必要だ、ですが今、呼吸できているのでしょうのはなぜでしょうと考えるとこれまでの人間が自然を大切に扱ってきたこと、プランクトンが猿を通して人間になったからだと考えてみてください。きっと「目に見えなくて大事な存在はなんでしょう?」という質問された時「プランクトン」と答えることができるでしょう。プランクトンは、地球の生み親であると考える地球は、どこに存在するでしょう?これはだれもが答えることができると思う。そうです「宇宙」の一部だ。そうするとプランクトンは「宇宙の一部」を育てたといえる。宇宙の一部だったら、この地球にいる人類だけでなく地球にある大自然は、ぼくらとつながっている。地球は大自然で成り立っている、人間はゴキブリとも仲間だし烏とも仲間であって。プランクトンによってつながった自然と共生することが大切である。

人間はこのようにして自然からできている。ですが人間が大切な自然を壊している。だから人間は自分ができることを一人一人で考え行動に移すことが大切だと思った。

 私たちは自然を利用して生きているのではなく、自然の一部として生きている。それを超えて宇宙の一部である。目に見えない小さな命から始まった人類と自然の二人三脚でのつながりが、今の私たちを支えている。そのことを忘れ、人間の都合だけで自然を変えてしまえば、最後には人間自身が苦しむことになることが分かった。これからは自然を守ることを特別なことにせず、日々の生活の中でできることを考え、行動していきたい。