身近な自然が教えてくれたこと
小6 あさゆほ(asayuho)
2026年6月4日
トキが絶滅確実となり、保護の努力も失敗したが、その一方で日本では自然破壊が続き、第二第三のトキを生む状況があるため、絶滅寸前になってから保護する姿勢には偽善的で矛盾があると筆者は感じている。レッドデータブックには多くの絶滅危惧種が記載され、メダカやミヤコタナゴ、水生昆虫など身近な生物も激減している。アメリカは早くから国立公園制度を整え自然保護が徹底されてきたが、日本は戦争や経済発展の影響で十分に機能してこなかった。筆者はロサンゼルスでカマキリの捕獲が禁止されていることを知り自然保護の厳しさを実感する一方、東京ではまだカマキリが普通に見られ、子どもが捕まえて観察できるほど数が多いことに小さな幸せを感じた。
私の家の近くには下水道がある。私は自転車でそこを通ることが多い。久しぶりに父とその下水道を通ったとき、父は「パパが子どもの頃は、ここにはドジョウやザリガニ、ウシガエル、スッポンなど、たくさんの生き物が住んでいたんだよ」と教えてくれた。暇さえあれば下水道に行き、生き物を採って遊んでいたらしい。しかし、今の下水道をのぞいてみると、水はにごり、父が言っていたような生き物の姿はほとんど見られなかった。
私はその話を聞いて驚き、家の近くの川も見に行ってみた。すると、そこも同じように生き物が少なくなっていた。昔は川辺に草むらが広がり、生き物がすみやすい場所だったはずなのに、今では草も少なく、まるで生き物たちの家が押しのけられてしまったように感じた。父の話と今の光景を比べてみて、私は「自然がどんどん減っているんだ」と強く気づかされた。
一年生のとき、学校の帰り道でいつもトノサマバッタを見かけていた。草むらから次々に飛び出してきて、友達と三十分ほど観察したり、そっと触ってみたりしたことをよく覚えている。しかし、今ではその道を通ってもトノサマバッタの姿はまったく見られなくなってしまった。見たのも一年生のときの一年間だけで、まるであのにぎやかさが消えてしまったように感じる。
ホタルについて調べてみた。
ゲンジボタルは水がきれいな山地の清流にすむ生き物であり、幼虫のエサとなるカワニナが生息できる環境が必要である。この水質を守るため、養父市米地川周辺では地域の人々が継続的に美化活動を行っている。また、夜間に強い光が当たるとホタルの活動が妨げられるため、ホタルの時期には街灯を暗くする工夫もされている。2006年の台風23号でホタルとカワニナが流され壊滅状態となったが、保護活動の結果、2008年には復活することができた。
ということがわかった。
私は夏祭りの金魚すくいで一匹の金魚をすくい、家に持ち帰って育てた。最初は小さくて弱々しかったが、毎日エサをやり、水を替え、少しずつ大きくなるのを見るのが楽しみだった。しかし、どれだけ大切にしていても、金魚はあまり長く生きられなかった。小さな命でも、失われると胸がぎゅっと痛くなった。私はそのとき、「命を預かる」ということの重さを初めて知った。生き物を大切にする気持ちは、自然全体を守ろうとする心につながるのだと感じた。たった一匹の金魚でも、私にとっては自然の一部であり、その命を守ろうとした経験は、自然保護の大切さを実感するきっかけとなった。
自然とは人間にとって、失ってからでは取り返せない大切な宝物である。学校の国語で学んだイースター島の話でも、森林が豊かだった島が、人々が木を切り続けたことや、持ち込まれたラットが木の実を食べ尽くしたことなどが重なり、最終的には一本の木も残らなくなったとされている。豊かな自然は永遠に続くものではなく、人間の行動によって簡単に失われてしまう。「後悔先に立たず」ということわざのように、失ってから悔やんでも遅い。だからこそ、今ある自然を守り、未来に残していく努力を続けていくことが大切である。