科学における発想と倫理 (清書)

   中2 あさくに(asakuni)  2026年6月4日

 感想:私は最近「非合理的な情熱」というタームを見て以来、今までずっと脳裏をよぎります。現代の効率化され、何故かすべて丸っこくなった建造物を目にしたときはその言葉が私の目前に現れるような感覚を覚えます。なぜこの言葉が私にこれまでも影響したか理由を熟考しているとふとある理由がポッと現れました。それはと言いますと、私はこれまで一度も情熱が一切活用できない揺らぎまくっている炎だと考えたことがなかったからである。よくテレビの特集やインタビューに応じている人々はあたかも情熱をうまく利用して、彼らが今いる境地にたどり着けたかのように言及する。しかし、情熱という言葉の前に、非合理的という言葉が入ることにより前述した意味のほとんどが否定されるのである。本当の情熱は制御不可能な暴走しまくりの聖火であり、人を苦しめたり、助けたりするのである。私がこの言葉に感銘を受けたときと同じようにこの著書を読まれた方々は科学も技術も案外人間的だったことに衝撃を受けていることだろう。しかし、印象に残って記憶の中で生きているよりも、この事実を活用し、自分の人生をより豊かにするのがこのようなアドバイスや教訓の本質なのではないか。私もこの本書で知った事実を活用し、宿題などで苦戦した時はこの人間的なデータ活用方法を実践でも使用しようと思う。

まず第一に理屈に縛られない直感の良さは唯一無二であるという所にある。人間は元々他のすべての生物同様、気まぐれで曖昧なのだ。なので当然倫理的思考は昔はできなかったし、今でも常にやるというのは至難の業だと思う。よってこのような時間のかかる作業を省き、多くの人は日常的に閃くのである。この近代社会の呪縛から解放されたアイディアは常に新鮮で、ユニークである。この輝かしい一つの卵が出てきたとき、本書と同じように論理的思考で余白を埋めるという温め方をしたら、無事に雛はかえるのだ。実は私も同様な手口で困難を乗り超えた体験がある。私は約4週間前に英検一級を受験してきたのだが、英検一級の一次試験には3つの項目があり、その一つがライティングなのだ。このライティングにも厳格な規則があり、「イントロダクションの後に3つの理由が入り、最後に結論」という後世でなければならないのだ。もちろん試験二か月前から対策をしてきた私だが、いざ実際やってみると気持ちが上がってしまい、最初の15秒間はほとんど考えられなかった。そしたらふと開き直り、直感で思いついた3つの理由を論理的に書いて乗り切ったのだ。本当にあの時の自分の直感には感謝しており、そのおかげで無事1次試験に合格できたのだ。この経験をした後初めて根拠のないあてずっぽと過去の経験に基づいた直感の違いを実感した。

しかし、論理的思考にも万人に受け入れられ、客観性の強いという長所がある。確かに直感は全ての種かもしれないが、正しい育て方をしないと死んでしまうのだ。自分だけのアイディア、自分しかわからないアイディアをそのまま無防備で外の世界へ放り出すともちろん誰にもわからないし、滑稽だと認識され人々に見てももらえない。このような時に使える伝達手段の一つが論理的思考である。人それぞれにはその人独自の考え方があり、それは思考の多様性を生んでくれる素晴らしい事である。しかしながら、それが正しい方法で解釈されないと意味がないのも真実だ。論理的思考は皆のわかる形で全てをまとめてくれて、万人に受け入れられる特性がある。これをどんな発想にでも紐づけることにより、客観性と万人受けという鬼に金棒で、意思の伝達はより安易なものになるだろう。

確かに直感の唯一無二さと論理的思考の万人受けはどちらも捨てがたい特賞ではあるが、一番重要なのは個々の「非合理的な情熱」による閃きではないだろうか。何事も説明書が無いと始まらないのと同様に、閃き、考えの種が無いともちろんその後は無い。しかしながら、その小さな輝く種があると筆者が述べていたような「人間的数値やデータ」を駆使し、穴埋めが可能となる。だが、私が考えるには「閃き」は「運」という火薬により動いていると思う。なのでここで私が提示したいのは、全てを運に託して閃きが降りてくるのを待つのではなく、より多角的なアプローチも必要という点だ。その多角的アプローチというのは、論理的追及の採用だ。「でも、ちょうどさっきそれは余白の穴埋め様だといったじゃないですか」と言われるかもしれない。だが、このツールの長所は様々な場面で活用できる所だ。余白の穴埋めのみならず、もう一つの視点として使えるのだ。非合理的情熱はまさに暴走する炎のようだといったが、それとは対照的に論理的思考は風のように爽やかで、人にも操れるのである。この非合理的な情熱による地熱発電と論理的思考の風力発電のまさに「二刀流」で人々の思考、生活、そして世の中がより豊かなものになることを願う。