余裕がなくては

   小6 あこいわ(akoiwa)  2026年6月4日

 「一心不乱」はすばらしいのですが、「盲目的ないちず」がこまるのです。自動車のようなハンドルにも、「遊び」があります。あの遊びがなかったら、ずいぶん運転しにくくなるでしょうし、第一、危険です。無理やり、知識を頭の中へ詰め込まれた結果、人間本来の好奇心がすっかり消えてしまったのです。

 私には、勉強などの休憩にゆとりとしてやっていることがある。それは本などを読むことです。私は、家で勉強することがたまにある。逆にたまにしかないので、少しやるとすぐに疲れてしまう。なので、そういうときに少し本を読んで自分の世界に行く。自分の世界に行くと疲れていたのが忘れるような気がする。本を読むときもあれば、テレビを見ることもある。テレビには大きな画面で見れて、また本とは違う魅力がある。なので私は気分によってゆとりのためにやることを変えている。ゆとりが必要なのは、勉強の時だけじゃないと思う。例えば、ものすごく緊張してる時にゆとりがほしいそんなふうに思わないですか。私には、そういう体験がある。私は昔から水泳をやっているので、たまに水泳の大会にも出たりする。何回出ても大会というのは、緊張するものでいつも緊張と戦っている。大会は種目やタイムなどで、組み分けされていて同じチームの子がいたりいなかったりする。私は一人のときによく緊張しがちですが、同じ組みになかの良い子がいたりすると、話してる時に緊張がほぐれたりする。そんな話してる時に友達が面白いことなどをいうので、それを思い出しながら泳ぐと速くなったりする。いつもの私なら余裕がある何てようゆうなあと思っていると思う。だから、話たりすることでも、自分にゆとりができるんだと思う。

 私は、機械などにも遊びがあるかも調べてみた。それで私が調べた機械は車だ。車にあるゆとりとは、ハンドルやアクセルを操作した際実際にタイヤが動いたりきき始めたりするまでに生じるゆとりのことである。私は実際に車を運転したことはないが、ゴーカートなどならやったことがある。ゴーカートでも同じようにちょっとハンドルを切っただけでは動かなかった。ですが、反対にハンドルを切りすぎると横のさくなどにぶつかってしまう。でも、すぐに曲がれてしまうとそれはそれで危ないと思うのでそこにあるゆとりは大事だと思う。

 人間にとって余裕とはなくてはならないもので、なぜなら余裕やゆとりがあることで守れることや、できなかったことができるようになったりする。反対に余裕やゆとりがなければ普段できてることも急にできなくなってしまったりする。なので、人間にとってゆとは自分の持っている以上の力を出してくれるものだと思う。