表現することで未来を作る

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 「落ちて来たら 今度は もっと高く もっともっと高く 何度でも打ち上げよう 美しい願いごとのように」

この詩のいのちは、「美しい願いごとのように」という素晴らしい「比喩」にあると言える。この詩を読むと、いつも光さす空を見ていよう、紙風船が落ちてくるのに、目をとめるよりも、何度でも打ち上げるそのことに生きる証を見つけよう、と言うような祈りに似た詩の心が伝わってきて、励ましさえ感じる。「月とスッポン」と言うことわざがある。二つのものがあまりに違いすぎる、不相応だと言う意味だが、このことわざ自体、月とスッポンという非常に遠いものを結びつけて「月とスッポンのようだ」としているために、長く私たちの印象に残ることとなった。比喩を、日常の会話でも、効果的に使うと、表現が生きてくる。現代は、スマートフォンが普及し、インターネットやSNSで気軽に誰とでも繋がれる時代だ。SNS上にある様々な意見に即座にコメントができる。しかしそれによって、誹謗中傷、つまり短く乱暴な言葉や誤解によるトラブルも増えてしまっているのが現状だ。これによって言葉と言うのが人の心を傷つける凶器になってしまっている。本来、スマートフォンが普及したのは、便利なパソコンの機能や、その他のアプリを、手のひらサイズの一台に統合し、いつでもどこでもインターネットに接続できる利便性を実現したからであって、決して匿名で人々を傷つける目的で生み出したのではない。スマートフォンは、人間関係をより円滑にできるツールだと言えるだろう。しかし逆に軋轢を生んでしまったり、ふわりを招いてしまったりしているのではないだろうか。それも無意識のうちに。私は言葉が心を遠ざけている現代だからこそ「比喩」が大切だと考える。

 理由は、第一に、比喩を用いることで、難しい言葉やイメージしにくいことを具体的な形に変換して伝えることができるからだ。私が小学校の時、先生が比喩を用いて説明してくれたときのことを思い出す。当時の私は非常に算数が苦手であった。周りを見渡しても、頭の良さそうな子ばかりで、周りについていけそうになく、自信をなくしていた。中でも、私は公式という言葉を知らなかったということが今でも後ろめたさを感じている。周りの子たちが「公式って数を当てはめれば答えを出せるからとても便利だよね。知っててよかった。」と話しているのを聞くと、ついつい首をかしげてしまう。ある日私は授業が終わった後、その日の授業の復習をしていた。すると、先生が近づいてきて、「どこがわからないの?」と優しく声をかけてくれた。私は公式を知らないことを言うかためらった。先生にそんなことも知らないのかと言われてしまうのが一番怖かった。しかし私は公式と言う言葉を知らないと何も始まらないと思い、公式を知らないことを先生に話した。すると、先生は私に丁寧に公式の説明をしてくれた。しかし当初の私は先生の難しい説明をあまり理解できなかった。自分では意識していなかったが、それが顔に出ていたみたいで、先生は何かを悟ったように言った。「公式と言うのはね、家で言う柱のようなものなんだよ。柱があれば家を建てることができるでしょう。同じように公式は数を当てはめれば答えを導き出せる便利な式なんだよ。」私はすぐに理解できた。私はこの出来事をきっかけに問題を解くときに公式を使うようになった。すると今まで見ていた算数と言う数字の羅列しか見えない世界が、とても興味深く、楽しい世界に変わった気がした。算数と言う苦手分野の克服ができたのだ。先生には、とても感謝している。このように心を用いることで、どんな世代の人にも物事をわかりやすく説明することができるのだ。

 理由は、第二にただの事実を言うより、比喩を用いて表現することで、相手の心を動かし、気持ちを通じ合わせられるからだ。私は時々失敗を繰り返してしまうことがある。その時にはすぐくじけてしまう。しかしここでも比喩はとても良い役割をする。それを実感した出来事がある。私は小学校の頃、音楽の授業がとても好きであった。自分で言うことではないかもしれないが、私は誰よりも美しく響く声色で歌を歌っていた。ある日、その授業で歌った歌は、歌詞の一番と二番の間奏がとても長く、入るタイミングが難しい曲であった。そしていざ歌うとなったときに、私は入るタイミングが少し早くなってしまった。みんなの視線は私に集まる。このことがあり、私は授業終わりとてもしょんぼりしていた。それを見た友達がどうしたのと声をかけてくれた。私は自分の気持ちを「まるで胸にぽっかり穴が空いたよう」と表現して友達に伝えると、友達もその痛みをわかってくれた。もし私がただの事実を言っていてしまっていれば、自分も情緒不安定になっていたかもしれないし、友達も、私の本当の気持ちがわからなかったかもしれない。このように比喩と言う表現技法は、相手により印象付けられるような伝え方をすることができる。

 確かに比喩を使うことでわかりにくくなったり、大げさになったりすることがあり、信頼関係を損ねてしまう可能性もある。しかし、小説や説明文、日常生活の中でも比喩表現は溢れている。そうではないと否定する人も多いかもしれない。例えば「テレビを消す」という言葉だ。テレビ自体を消すという意味ではない。テレビの電源を落とすと言う意味だ。「空気を読む」や「羽を伸ばす」を同じように比喩表現として使われている。このように意識はあまりしていないかもしれないが、私たちの日常生活の中に比喩は溢れている。皆さんは「夜明け前が最も暗い」と言う名言をご存知だろうか。これは辛い時期の先にある明るい未来を夜明けに例えた、素晴らしい比喩表現である。比喩があるからこそ言葉が生まれ、言葉という膨大な広さの世界を知れる。そう言っても過言ではないかもしれない。私は比喩をうまく使い分け、相手と良いコミュニケーションを取ることが大切だと考える。正しい言葉ばかり使っていると、言葉の世界がつまらないものへと一変してしまう。比喩という素晴らしい技法を使うからこそ、今自分がどこまで言葉を使えているかと言う、視野の広さを知り、その言葉が人間関係の潤滑油となるのだ。だから、私は言葉と世界の広さを知り、自分の言葉を丁寧に磨きながらコミュニケーションの幅を広げ、より円滑な人間関係を築いていきたいと思う。まずは普段の何気ない日常会話で比喩を使ってみたらどうだろうか。すると、相手からの解釈の仕方も変わる。もし相手があなたの言った比喩を他の人と対するときにも活用されたら、比喩表現はまるでバトンのように次世代へとつながっていくかもしれない。そうすれば、比喩表現が言葉により説得力を与えてくれる便利なツールとして受け入れられ、誰しもが比喩表現を活用するようになる。そしてSNSでの問題が広がり、スマートフォンの本来の普及の目的がまるで黒いクレヨンで染まってしまい、人々のために比喩表現と言う、素晴らしい技法が見失われてしまっている今、その方向性を少しでも変えることができる。これからは、比喩表現を積極的に取り入れ、たくさんの人に比喩の素晴らしさを伝えていきたい。皆さんも気軽に簡単に使うことのできる比喩表現を積極的に会話に取り入れてみたらどうだろうか。きっと、その世界観は、表現できないほどの広さになり、後に比喩をもっと早く使っておけばよかったと後悔することになるだろう。私はそう確信している。