事実と嘘の必要性
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ノンフィクションの書き手はあるものを映そうとし、フィクションの書き手は、在らしめるために創ろうとする。ノンフィクションのライターにできることは事実の断片を収集することでしかない。ノンフィクションとは事実の断片に夜、事実に関する一つの仮説にすぎないのだ。
私は事実をありのままに伝えることは大切だと思う。なぜなら、事実を伝えなければ人々が混乱してしまうからだ。近年、SNSを使用する人が年々増加している。そのため、フェイクニュースと呼ばれる「嘘のニュース」が投稿されるケースも増加している。具体的な例としては、熊本地震の際に投稿された「動物園からライオンが逃げた」というニュースだ。この情報が拡散されたことで、多くの人が不安になり、動物園の飼育員や警察が対応に追われることになってしまった。また、地震があった地域に対して、東日本大震災で撮影された津波の写真を使い、「これと同じくらいの津波が来る」という偽の情報が投稿されたこともあった。このような情報は人々に大きな不安を与え、混乱を引き起こしてしまうと思う。ほかにも、最近ではクマによる被害が相次いでいるため、クマの動きを把握するための「クマダス」というアプリが一部の地域で用いられている。しかし、そのアプリでもクマの出没が確認されていないにもかかわらず、「大きなクマが出た。助けてくれ」という投稿がされたことがあった。投稿した本人は遊び感覚で、みんなが面白いと思ってくれるだろうという気持ちだったのかもしれない。あるいは、注目をあびたいがために起こした行動かもしれない。投稿した人がどういう気持ちで投稿したのかはわからない。しかし、それを見た人たちからすれば不安になり、混乱が広がってしまうと思う。だからこそ、混乱が起きている時ほど、事実を正しく伝えることが大切だと思う。
しかし、時によっては嘘を伝えてもよい場合があると思う。私はある小説「海に願いを 風に祈りを そして君に誓いを」を読んで、時には嘘をつくのも必要なのではないかと感じた。その小説の主人公は女子高校生の凪沙(なぎさ)と、その幼なじみであり恋人でもある優海(ゆう)だ。凪沙は一度溺れてしまった男の子を助けるために海に飛び込み、その子を助けることはできたが、自分は溺れて死んでしまった。しかし、優海のことが心配で成仏できずにいると、神様からもう一度人生をやり直す機会を与えられ、未来の記憶を持ったまま死ぬ二か月前に戻ってくる。凪沙は優海の未来を変えるために様々なことをしていく。しかし、死ぬ日の前日になると、生きたいという思いと死ぬことへの怖さがあふれてしまい、いつもと様子が違うことを優海に気付かれてしまう。そして、自分が死ぬことを打ち明けてしまう。優海は凪沙を助けたいという強い思いから、助ける方法を考える。
しかし実は、凪沙は優海に嘘の日付を伝えていた。それは、優海が自分を助けようとして運命を変えてしまうことを防ぐためであり、自分が生きたことで周りの人たちに影響がひずみが生じないようにするためだった。私はこの場面を読んで、凪沙も本当は死ぬことが怖かったはずなのに、それでも優海を助けるために嘘をついたところに強い思いやりを感じた。私はこの話を通して、嘘は必ずしも悪いものではなく、相手を思いやる気持ちから生まれる嘘もあるのだと感じた。
事実をありのままに伝える伝え方と、相手を思いやって嘘を伝える伝え方、どちらも私たち人間には必要なことだと思う。しかし、最も重要なことは「何を言うかではなくどう言うかだ、という人がいる。しかし、私は何を言うかの方がはるかに重要だと思う。」という名言があるように、どう言うべきかではなく何を言うべきかを考えることだと思う。