遊びの精神

   小6 わかば(akahime)  2026年6月4日

 人生の中で、一生懸命なことは非常に大事であるが、余裕を持つこともとても大切なことである。一つのものに焦点を絞って、一心不乱に走り抜けていくのは危険である。機械に遊びの部分があることで、機器を意のままに操れるようになり、危険な要素も減少する。これと同じように、日常でも余裕を持つことで何かをやり遂げられるのである。

 私には実際そのような経験がある。勉強中にチョコレートを食べると集中できる。調べてみたところ、実際に脳のエネルギー源となるブドウ糖が豊富に含まれていると書いてあった。それに、ぎちぎちに勉強を詰め込んでしまうのではなく、ある程度脳内に余地が無いと、学習したことが、まるでパンパンに詰めすぎた袋の中身のように、頭からぽろぽろと抜けていきそうな気がする。余裕を持ってできる勉強として、私が行ったことがあるのが、アドベントカレンダーを活用する方法である。アドベントカレンダーの中に、勉強内容やその日のタスクを書き込み、やり遂げられたらスタンプをおすというものだ。実際に効果はあり、いつもは嫌がって後回しにしてしまうことも、最初から取り組むことができるようになった。また、タイマーを使用し、『制限時間内に達成できるかチャレンジ!』のような遊びを加えると、より集中できるような気がする。勉強と一対一で向き合うと、ただ疲れてしまうだけだけれど、遊びや余裕を加えることで楽しみながらすることができるのである。

 学校にも「遊び」や「余白」「余裕」のような役割を持つ時間があると思う。学校の休み時間のことである。車などの機会に、遊びの部分があるように、学校の中休みや昼休みも次の時間のための助走のようなもので、もし休み時間が無かったらと考えてみた。朝休みがないとしたら、朝のんびりした気分のまま授業が開始してしまって、集中できないだろう。給食の後など、昼休みがあるおかげで、眠気を吹き飛ばせているだろう。休みの時間を挟まないと、授業に集中できなかったり、眠ってしまったりしてしまう。私の経験の中で、母と父が出かけているとき、勉強していて、気が付いたら寝てしまっていたことがある。自分でも起きてから吃驚した。その時、眠るために残ったさぼりたがりやみたいになってしまうと思ってとっても焦った。このように、学校に休みの時間がないと、居眠りしてしまう人や、授業に集中せずにぺらぺら話している人が出てくる気がする。

 私は家の中で機械の遊び、のような部分を発見した。一つ目は風呂場のひねるとシャワーから水が出てくるレバーだ。ひねるときに、約一センチほど動かさなければ一滴も水は出てこない。簡単に操作ができたほうが、使いやすいのではないかと思ったが、考えてみるとなぜなのか分かった。もし熱湯が出てくる温度に設定しているとき、子供がふざけたり、手が当たってしまった場合に、容易に水が噴き出てくる仕組みになっていたら、重症を負ってしまうかもしれない。発見した二つ目は、雨のときなどに差す傘である。傘を差そうとすると、一センチくらいのところで一度つっかえる。そこから先の部分は、さらに力を加えないと傘は開かない。きっと、何かトラブルがあって傘にぶつかってしまった際に、急に傘が開いてしまったら、近くにいる人が対応できずに被害を受けるかもしれないからだろう。こんなに身近にあるものでも、意識してみてみると、些細な部分に工夫が施されていることが感じられる。

 人間にとって遊びの精神とは、心を豊かにし、余裕を生む栄養のようなもので、何かを行う上でとても大切なものである。確かに、一心不乱に取り組むのも良いことだと思うが、根を詰めすぎてしまうと危ない。大切なのは一つのものに対して、楽しめるような工夫をしたり、そのことに一杯一杯にならずに何事にも余裕を持って行くということだと思う。