ふと思いついた発想
中2 みお(aemio)
2026年6月3日
マツノキハバチの飼育温度についての研究で、温度は一定ではなく高温・低温と振れなくてはいけないのではないか、ということを筆者はふと思いついた。そして、この温度設定で飼育してみると、以前まで四日ほどで全滅してしまったハバチがほとんど死ぬことなく繭を作った。これを学会で発表するとき、ある配慮が必要になる。それは、ふと思いついた発想には一言も触れず、データに基づいた「論理的」推理を展開することだ。これによって、研究も、筆者自身も「科学的」な体面を保つことになった。ここからわかるように、科学も、技術もふつう思われているのとは違って、ずっと人間的なものなのである。
理にかなっていなくても、自由な発想やひらめきは大事にするべきだ、という考えがある。私が小学校低学年のころ、スイカの種や柿の種を植えて育てたことがある。捨てるのではなく、育てれば、またスイカや柿が食べられると考えたからだ。しかし、何年たっても芽が出てくることはなかった。なぜなら、他の植物を育てるために使った土を再利用していたため、栄養がなかったり、食品用のプラスチックの容器を植木鉢にしていたため、育つのには狭かったりしたからだ。今考えれば芽が出るわけがない。しかし、次にトマトを育てたときは、前回の失敗を生かして土を変えたり、植木鉢を大きくしたりした結果、たくさん実がなった。このことから私は、最初の発想が大事だと思った。その発想に根拠がなかったとしても、試したことで新たな発見があると思い、その発見から少しずつよりよくしていくことが大事だと感じた。
反対に、理由や根拠のある論理的思考も大切だ。すべての物事は、感覚だけではうまくいかない。ルネ・デカルトという哲学者がいる。彼は、なんとなくそう思う、の「なんとなく」とは何か、感覚は正しいか、今が現実であることを証明できるか、数学さえ何かに騙されているのかもしれない、とたくさんのことになぜ、どうしてという疑問をもっていた。多分、彼は、根拠がある、という強い土台の上で生きたい、曖昧なままにしておきたくないという気持ちがあったのだと思う。私も、根拠があることではじめて納得できたり安心感を持つことができるときがある。だから、なんとなく、ではなくはっきりとした理由があることも重要なことだと考える。
確かに、突然のひらめきも、論理的思考も、どちらも大切だ。しかし、一番は、「考える」自分を大切にすることだ。「われ思う、ゆえに我あり」という名言がある。これはルネ・デカルトの言葉だ。この言葉には、たとえ、何もかも、全てを疑ったとしても、疑っている自分や、考えている自分が存在することだけは疑えない、という意味がある。私はこの名言のように、根拠をもった考えも、突然ひらめいた発想も、どちらも自分なりの答えであり、自分が考えていることには変わりないと思って、大切にしたいと思った。また、一番問題に対して深められる、自分らしい考えでいたい。