温故知新

   小6 ひなすみ(akohina)  2026年6月4日

 インドでは、町角のあちこちに自転車の修理屋があるという。それは、人々が靴でも自転車でも壊れたら修理し、最後までとことん使いきるという習慣があるからだそうだ。一方、日本では駅前などに多くの自転車が放置されているそうだ。便利さや新しさを求めることは悪いことではない。しかし、簡単に物を手放す生活を続けていると、一つ一つの物を大切にする心まで薄れてしまうのではないだろうか。

 私にも、物を最後まで使い切った経験がある。小学校三年生まで使っていたランドセルは、もともと姉が習っていた習字の先生の娘さんが六年間使っていた物だった。譲り受けたときは傷もほとんどなく、とてもきれいだった。しかし、私が使い続けるうちに留め金が壊れ、修理できないほど傷んでしまった。それでも最後まで使い切ったことで、「物をとことん使いきった。」と言えるだろう。

 反対に、私のクラスには鉛筆を落としても「まあいいや、新しいのを使おう」と言って、そのまま探さなかった人がいた。また、消しゴムや筆箱が、一週間や一か月ほどで替わる人もいる。私は、その鉛筆はまだ使えるのに、探そうともしないことに驚いた。物を簡単に買い替えることが当たり前になると、一つ一つの物への愛着も薄れてしまうのではないかと思った。

 私の姉は、小学一年生の時に買った筆箱を六年生まで使い続けていた。その筆箱には、私が幼稚園児の時に悪気はなかったのだが、マッキーペンで姉の名前が書かれていた物だった。姉は、自分のお金で筆箱を、買おうと思えば買えたのかもしれない。しかし、母から「卒業するまで使いなさい」と言われ、そのまま使い続けたという。当時は嫌だったそうだが、中学三年生になった今では家族で笑い話になっている。長く使い続けたからこそ、その筆箱への愛着が、簡単には代えられない価値が生まれたのだと思う。

 このように、新しい物を取り入れることも大切である。しかし、本当に必要なくなるまでは、今ある物を大切に使い続けることも大切ではないだろうか。温故知新ということわざがある。これは、古きを温め新しきを知る、という意味だ。物を長く使えば使うほど愛着が生まれ、その物にまつわる思い出も増えていく。これから私は、今持っている物を最後まで大切に使い切り、本当に必要になったときに新しい物を取り入れていきたい。