手助けはよいか

   中2 すりりんご(akimano)  2026年7月1日

 私は社会と国語、数学が好きな教科だ。授業で練習問題などを解き、先生に丸付けをしてもらって全問正解すると、ミニ先生として分からない人のところに解き方を手助けしに行く。数学や国語の漢字や古文などは教えやすいが、社会はなかなか上手に言葉で教えられない。歴史は、教科書を見るとそのままの答えが載っているし、地理も教科書や地図帳に答えがそのまま載っている。だから、どう教えたら良いのか考えることが難しい。そこで年表や私が知っているその知識や年号の覚え方を使って教えてみた。すると、社会が苦手な人が少しずつ問題の理解ができるようになったのだ。その時に、教えた友達から「ありがとう」と言ってもらった。とても嬉しかった。今でも、ミニ先生として教える時には、「ありがとう」と言ってもらえるようにわかりやすく教えられるように頑張ろうと思っている。

 手助けは良い。私は理科が大の苦手である。理科はワークがあり、テスト前になるとワークを解くことに追われる。今年のワークには過去の入試問題が多く入っていたため、手こずった。解いていて、分からない問題が数問あった。その時に私はその一問を二十分ほどかけてじっくり悩んだ。それでも、分からなかったため、さらに二十分ほど悩んだ。考えると、このあわせて四十分はただの悩むというただ何もしない行動であったのではないかと思う。一つの問題に何十分もかけているとその先の問題には進めない。学校の先生は「解答を頼りにしないで自分で考えなさい」と良く言うけれど、本当は解答、解説を読み、その問題を理解した上でもう一度解く方が理解を向上させやすいのではないかと思う。解答、解説を読む以外でも、先生や大人に聞いてみることでも理解しやすいだろう。私は、この勉強のやり方をすることで、大の苦手である理科が苦手になれた。このように、手助けを受けることで自分にとってプラスなことが起こりやすい。

 しかし、手助けがかえってマイナスになることもある。私の目標は日本百名城に入っているすべての城を巡ることである。百名城は城好きには必須のキーワードである。そのため、ガイドブックや攻略本などが数多く出版されている。私も以前はその本を読んで下調べをして城を見に行っていたが、本を読まずに城を見に行く今の方が楽しさが二倍ほど大きくなった。それは読むと、現地に行った時に「これがガイドブックに載っていた櫓か」などの言葉で終わるが、読まないでいると、「これは何という櫓なのだろう」などと自分だけの発見のような好奇心に満ち溢れるからだ。このように本などで予備知識をつけていると感動に悪影響を与えることがある。

 確かに、手助けには良い面も悪い面もある。しかし、いちばん大切なことは、大切なのは、健康らしい外見ではなく、健康自身である、という名言があるように、自分の手助けが外見からだけの優しさではなく、内見も含めた優しさと思いやりがあるかということが大切なのである。私は、手助けする側の時にも手助けされる側の時にも、相手への思いやりを持ち続けていきたい。