俺が読む

    ()  年月日

 「オレが読む~~」

ぼくが姉と喧嘩をしている時の様子だ。ぼくと姉の喧嘩は、まるで戦場のようだ。激しく物が飛び交い、パソコンが壊れたりもした。ぼくが五、六歳になったころから岸家には、喧嘩が鳴りやまない。そのおかげ、生き残るための努力を死ぬほどしなければいけない。努力することは、たしかに良いことだ。でも努力するところが間違っていると思う。ぼくが努力していたところは「喧嘩」だ、喧嘩は実に良くないことである。天風先生は、こういっている「言葉には人生を左右する力があるんです。 この自覚こそが人生を勝利に導く最良の武器なんですよ_『君に成功を贈る』」この言葉の意味は「ポジティブな言葉を使えばポジティブな出来事が起きるまた、ネガティブな言葉を使うとネガティブな出来事が起きてしまう」意味で小さな愚痴から大きな喧嘩へ発達してしまう岸家に合う言葉だ。

 第一段落の喧嘩は、ぼくの誕生日プレゼント「聖樹のパン」というマンガだった。このマンガは、ぼくと姉がとても好きなマンガである。このマンガを六巻から八巻まで買ってくれた。ですがマンガが到着した時、ぼくは外出をしていた。そのため六巻を読む特等席を取られた。そのため真っ先に姉のところに行って

「そのマンガ返せー」

と物申した。天風先生の言葉は頭の中になかった。ここから戦争が始まった。この戦争は常人には止められない。止められるのは、ただひとり岸家の大黒柱の「母」である。母の一言で戦争が終わる。「ポツダム宣言」ではなく「岸建築宣言」である。この宣言は、数えられない程、宣言されているということは、一つ一つの宣言に思いがこもっていないことが分かる。天風先生はこういう「人生は心の操縦を完全にすることを、その先決問題として重大視しなければならない_『砂心抄』」この言葉の意味は、解釈の仕方によって違うかもしれませんがぼくは「思い」だと思っている。強い「思い」を持っていれば先決問題が解決できるということ。この喧嘩も「思い」があれば終止符を打つことができるかもしれない。

 母に聞いた話だ。母が嬉しかったプレゼントは、母の日に姉にもらったエプロンとハンカチと話していた。母は、まだエプロンとハンカチは、使いつづけている。母に「使っている時にもらった日のことを思い出すか?」と質問したら

「いやなことがあった時に使うと思いだす」

と話していた。

ぼくは、小学一年生に友達がいて、その一年生が富士山の石をくれた。ぼくは、富士山の石って持って帰ってきていいんだっけと考えて公園に捨てて行ったけれどくれたときのことは、今でも鮮明に覚えている。

 

 「山高き故に貴からず」という言葉がある。人間にとってプレゼントとは、高価でも安価でも友達にもらった物なら一生の思い出になる。これからは、物の値段で決めつけるのではなく、品質やどのような「思い」が詰まっているのかを見て生きていきたい。